カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・パリ(その4)

2014-12-24 | フランス(パリ)
これから、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)で、バレエを鑑賞することにしている。開始時間まで間があったことから、メトロに乗り、少し離れたフランクラン・デ・ルーズヴェルト駅を下車して、シャンゼリゼ通りにやってきた。正面が、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)の命により建てられた戦勝記念碑「エトワール凱旋門」(Arc de triomphe de l'Étoile)(1806年着工、1836年完成)で、シャルル・ド・ゴール広場の中心に建っている。
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毎年、年末を迎えるこの時期は、約2キロメートルにわたり、約400本もの街路樹がイルミネーションで鮮やかに彩られる。午後6時半を迎えたシャンゼリゼ通りの交通量は多く大渋滞している。

シャンゼリゼ通り沿いの店舗もイルミネーションが華やかで、多くの人で賑わっている。これからコンコルド広場(Place de la Concorde)の方向に歩いて行くが、ランドマークのオベリスクだけでなく、この日はライトアップされた観覧車(ルー・ド・パリ)の姿が確認できる。
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コンコルド広場から、セーヌ川右岸沿いに足を延ばし、コンコルド橋の近くからセーヌ川を望むと、「アレクサンドル3世橋」のライトアップされた装飾柱の先に、キラキラとした照明に包まれ、サーチライトを放つエッフェル塔を眺めることができる。
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こちらがセーヌ川右岸から見た「コンコルド広場」で、もともとは、1755年、ルイ15世の騎馬像が設置されたことから「ルイ15世広場」と呼ばれ、フランス革命以降には、騎馬像は取り払われ「革命広場」と改められている。ルイ16世やマリー・アントワネットへのギロチン刑が行われた場所でもある。そして現在の「コンコルド広場」は、1830年の7月革命以降に公式名となっている。
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コンコルド広場の中心部にはエジプトのルクソール神殿のオベリスクが聳えている。これは1836年に、エジプト国王ムハンマド・アリーから贈られたもの。そして、高さ60メートルの可搬式観覧車ルー・ド・パリは、2000年のミレニアムのお祝い以来、コンコルド広場に設置されている。持ち運びが可能なため、その後、オランダ、イギリス、タイ、ベルギー、イタリアなどの国々に移動してサービスが提供されているが、このたび、年末を控えてパリに里帰りしている。

上演予定時間が近づいてきたことから、オベリスクの先に見える建物の間の「ロワイヤル通り」を北に進み、三叉路となるマドレーヌ寺院から右方向に行った先のパリ・オペラ座(ガルニエ宮)に向かう。

パリ・オペラ座で、午後7時半よりバレエ「ラ・スルス」(泉)(La Source)を鑑賞する。ラ・スルスは、レオ・ドリーブとレオン・ミンクスの合作の2幕3場のバレエで、1866年にパリ・オペラ座にて初演されたが、その後は、上演されておらず、この度、一世紀半ぶりに復活上演されることになった。

舞台は、コーカサス地方の山岳地帯で、狩人ジェミルに恋した泉の精ナイラが自分を犠牲にして、彼が愛している隊商の娘ヌーレッダとの恋を手助けするといった悲哀恋愛を描いた内容である。
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中央がコロンヌ管弦楽団の指揮者コーン・ケッセルズ(Koen Kessels)で、左右が、泉の精 ナイラ(Naïla)役のシャルリーヌ・ギーゼンダナー(Charline Giezendanner)と、狩人ジェミル(Djémil)役のフロリアン・マグネネット(Florian Magnenet)、両端が、隊商の娘ヌレッダ(Nouredda)役のローラ・ヘケ(Laura Hecquet)と、森の妖精ザエル(Zaël)役のアクセル・イボット(Axel Ibot)になる。

見所としては、男性陣のダイナミックな踊りや女性たちの華麗な踊りはもちろんのこと、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)の華やかで、カラフルな民族衣装や、エリック・ルフ(コメディ・フランセーズ芸術監督・俳優)による刺激的な空間表現などがある。特に、天井から吊り下げられたロープが、様々にアレンジされ、中でも、多くを束ねることで、コーカサスの山岳地帯の巨木広がる世界観をも具現化している点が印象深い。
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バレエ鑑賞後は、オペラ座の東ファサード(支援者のパヴィヨン)側にある「オペラ・レストラン」(こちらは日中の様子)で、午後10時から遅い夕食をいただいた。シーザーサラダ、トリュフのコキーレット、チキンスープリーム、白ワインを注文し、営業終了時間の午後11時にお店を後にした。

メインファサード側に戻ってみると、人通りはほとんどなく寂しい雰囲気である。ライトアップされたファサードを見上げると、その荘厳の豪華さに圧倒される。こちらのメインファサードには、14人の画家、モザイク職人、73人の彫刻家が装飾制作に参加したと言われている。
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モントロン公園(9区)そばにあるホテル「ウイリアム オペラ」をチェックアウトし、荷物をフロントに預けたお昼の12時過ぎ、8区にある「ジャックマール・アンドレ美術館」(Musée Jacquemart-André)にやってきた。美術館は、メトロ9番線ミロメニル(Miromesnil)駅から450メートルほど歩いたオスマン通り沿いにある。このあたりは高級邸宅が多く、同じような外観の邸宅が並んでいるので、懸垂幕がなければ通り過ぎそうである。


ちなみに、現在のパリの街並みは、1853年、皇帝ナポレオン3世の統治下、セーヌ県知事に任命されたオスマン男爵の手によるもの。今までスラム街のようだったパリは、その約17年の歳月を要した後、世界中の人々から賞賛される「花の都」へと大変身を遂げた。このオスマン通りは、そのオスマン男爵の名にちなんでいる。

黒い鉄扉を入ると、薄暗い石壁で囲まれた10メートルほどの通路があり、左側の扉を入るとチケットショップがある。その後は、左にカーブする坂道を上っていく。



左に回り込んだ左側(南側)にある広場の先に、巨大なポルチコのファサードを持つ大きな建物が現れる。こちらが「ジャックマール・アンドレ美術館」の展示会場となり、入口左右のライオン像が出迎えてくれる。
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ジャックマール・アンドレ美術館は、銀行家で芸術愛好家のエドゥアール・アンドレと、1881年に結婚した妻で画家のネリー・ジャックマールとの邸宅だったが、2人の遺産を受け継いだジャックマール・アンドレ財団により、1913年に美術館として発足している。そして、2人が収集したイタリア・ルネサンス、18世紀フランス、そしてオランダなどの絵画作品に加えて美術工芸品、家具、調度品等が華麗な邸宅と共に展示されている。

入口を入った最初の展示室が「絵画室」(サロン・デ・パンチャー)(Le salon des peintures)で、ジャン・マルク・ナティエ(Jean-Marc Nattier、1685~1766)の「ダンタン公爵夫人」(マチルド・ドゥ・キャニーの肖像)(1738)が展示されている。ナティエは、ルイ15世時代のフランスで肖像画家で、彼が描く優美にして繊細なタッチは一世を風靡しており、こちらの作品は、美術館のイメージキャラクター(図録、ポスター、ホームページなど)として採用されている。
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その上に掲げられた楕円額縁の絵画は、フランソワ・ブーシェ(1703~1770)の「ビーナスの眠り」(1738)である。ヴィーナスのポーズは、楕円形のフレームにフィットして描かれている。アモールは、眠りにつくヴィーナスを見守っており、そのヴィーナスの左手には真珠のネックレスが握られている。

こちらは、訪問客を招いて豪華なパーティーなどが催された「グランドサロン」(Grand salon)(114平方メートル)で、アンティークとモダンを組み合わせた18世紀らしい折衷主義の様式で設計されている。左奥の扉向こうに見える「絵画室」の南隣に位置していることから、絵画室が、グランドサロンのための控室であったことが頷ける。
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グランドサロンは南向きで、外観はドームを頂くロタンダとなっている。窓の外にはテラスが広がり、そのテラス先の背景として樹木が広がっているが、これは、1階下に延びるオスマン通りの街路樹を借景としている。サロンには、絵画の展示はないが、コワズヴォー、アントワーヌ・ウードン、ミケランジュ・スロッツなどの彫刻家による大理石の胸像コレクションが飾られている。
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このサロンでは、キャパを超える規模のレセプションパーティーの開催も可能で、その場合は、油圧ジャッキを使って西側面の仕切りを外して、隣接する部屋を一つの空間にすることで、千人ものゲストを迎えることができた。

グランドサロンの窓に向かって左扉の先は「タペストリーのサロン」(Salon des tapisseries)で、壁面には、18世紀、ボーヴェのタペストリー工場で編まれた、計3枚のタペストリーが飾られている。原案は、フランスの画家で、ブーシェに師事した、ル・プランス(Jean-Baptiste Le Prince)(1734~1781)によるもので、タペストリーには、ブルー・パールとローズ色を基調にロシア・スラブ地方の風景と人物が織り込まれている。
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そして、ソファの前の絵画スタンドに置かれた絵は18世紀イタリアを代表するヴェネツィアの景観画家、フランチェスコ・グアルディの「ポルチコ・ベネティアン(Portique venitien)(1760)」である。

東隣は、「執務室」(Le cabinet de travail)で、貴重な調度品が数多く配置されている。例えば、中央には、ルイ15世のお気に入りの家具職人ジャック・デュボワが制作した「ルイ15世のデスク」(1745)が置かれている。うす暗い金の装飾を盛り込んだ黒漆を基調に、ブロンズ製の縁取りフレームが4本の細く湾曲した脚先にまで施されており、重厚感と軽量感とが巧みに調和された作品となっている。他にも、寄木細工が施されたローズウッド製のタンスや、オービュッソンのタペストリーで覆われた肘掛け椅子などがある。
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壁には、18世紀のフランスの絵画が飾られ、天井には、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696~1770)のフレスコ画で覆われている。

執務室の隣で、東端となる展示室は「私室」(Le boudoir)で、マリー・アントワネット王妃の公式肖像画家で知られる女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755~1842)の「キャサリン・スカヴロンスカヤ伯爵夫人の肖像」(1790)が展示されている。革命の時にフランスを去ったルブランが、ヨーロッパを旅する途中に立ち寄ったナポリで、ロシア大使スカヴロンスキー伯爵に歓迎され、妻の肖像画を依頼され描いた作品である。モデルの夫人は、左手にメダリオンを持ち物思いにふけった表情で、椅子に腰かけている。
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「私室」の隣で東南角となる「書斎」(La Bibliotheque)には、ルイ14世時代の家具などが配置され、壁にはレンブラント、ヴァン・ダイク、ルイスダール、フランス・ハルス、フィリップ・ドゥ・シャンペーニュなどのフランドル絵画やオランダ絵画のコレクションが展示されている。


正面の一番小さい画は、レンブラント(Rembrandt、1606~1669)の「エマオの巡礼者」(Les Pelerins)(1628年頃)である。向かって右側のシルエットで表される人物がキリストで、背後に光源を配置し神秘さを強調している。対して巡礼者(キリストの弟子)は、光を正面に受け、驚く瞬間を捉えており、明暗を見事に可視化し劇的な効果を生み出している。
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エマオの巡礼者の左右には、同じくレンブラントの「アーノルド・トーリンクス博士の肖像画」(portrait du docteur arnold tholinx)(1656)と「アマーリエ・フォン・ゾルムスの王女の肖像」(portrait d'amalia von solms)(1632)が飾られている。
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アマーリエ・フォン・ゾルムス(1602~1675)は、オラニエ公(現在のオランダ王家)フリードリヒ・ヘンリーの公妃で、病弱だったオラニエ公の政治顧問として事実上の摂政として行動した。晩年は、孫となるオレンジ公ウィリアム3世の摂政評議会の議長をも務めている。彼女は、ホントホルストや、ヴァン・ダイクなどにも描かれている。

こちらは、バロック期のフランドル出身の画家アントゥーン・ヴァン・ダイク(1599~1641)の「男の肖像画」(1620頃)で、治安判事を描いたもの。作品は、当初、ヤーコブ・ヨルダーンス作とされ、次にルーベンス作「老人の肖像」とされたが、現在では特に異論なくヴァン・ダイクの作品とされている。
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東端の「私室」と反対側になる西端には「冬の庭」(ウィンターガーデン)(Le Jardin d'hiver)と名付けられた大理石のホールがある。彫像、ローマ時代のレリーフ、鉢植えの植物などが飾られている。


コリント式の茶色の大理石柱の奥は、吹き抜けになっており、左右に「名誉の階段」(L'escalierd' honneur)と名付けられた螺旋階段がある。


名誉の階段を上がって行くと、壁面に巨大なフレスコ画が現れる。ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの「アンリ3世の歓迎」(1745)で、1574年、アンリ3世(在位:1574~1589)(母がカトリーヌ・ド・メディシス)が、兄シャルル9世の崩御を継いでフランス王となるためパリへ戻る途中に立ち寄ったヴェネツィアにおいて、コンタリーニ公からの歓迎を受けている様子が描かれている。
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中央で首にラッフルを付けて右手を差し出している人物がアンリ3世で、その手を取る老人がコンタリーニ公になる。ところで、向かって右下に、この歓迎風景を見ている男が描かれているが、足が画面からはみ出しているのがなんともおかしい。もともとは、ヴェネツィアのコンタリーニ邸内を飾っていたものだが、1893年にアンドレス夫妻が購入し、この場所に移設したもの。

このフレスコ画の左右にもフレスコ画があり、こちらは、アンリ3世の歓迎をコンタリーニ邸から見学する人物たちの様子が描かれている。
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そして、1階入口の西側にある「ダイニングルーム」(La salle à manger)の天井にも、ティエポロのフレスコ画がある。こちらには、コンタリーニ邸のテラスの欄干手摺から身を乗り出し、階下を見つめる人々の姿が描かれ、猿が、手摺にぶら下がり尻尾がはみ出すだまし絵の効果を狙っている箇所もある。天井画は2階の「アンリ3世の歓迎」と一連のもので、もともとコンタリーニ邸では同じ場所にあったが、こちらジャックマール・アンドレ邸に移設した際に、分離して展示されることになった。
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「ダイニングルーム」では、ジャックマール・アンドレ美術館併設のレストラン、カフェとして営業している。まもなく午後3時になるが、まだ昼を食べていないので、こちらのレストランで食事をすることにした。天井画のアンリ3世の歓迎の様子を眺める人々の姿は、現在では、多くのテーブル席で食事する人々を羨む様な構図となっているのが洒落ている。

そして、店内の周囲の壁には、イーリアスの主人公アキレウスが活躍する冒険談が彩られた5つのタペストリーが飾られている。これらは18世紀にブリュッセルで織られたもの。


こちらのランチタイムは午後3時までなので、時間間際での注文となった。お昼の時間は行列ができるほどの人気のレストランとのことだが、この時間は比較的ゆっくり過ごせる。


再び、名誉の階段で、2階に戻り廊下を歩くと、正面にヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃~1576)の「フェデリーコ2世・ゴンザーガの肖像」(1560)が展示されている。フェデリーコは、第4代マントヴァ侯フランチェスコ2世とイザベラ・デステの子で、マントヴァ侯を継いでいる。この時代は、ルネサンスの宮廷文化の黄金期であり、彼自身も母親譲りの文化愛好者であった。
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こちらは、ペルジーノ(1448頃~1523)の「聖母子像」(1500)である。ペルジーノは、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家で、ラファエロの師でもあった。彼はゆったりとした空間構成、牧歌的な風景、甘美な聖母子像を描くことで人気があるが、こちらも清々しい清涼感を与えてくれる風景が広がっている。
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1階のグランドサロンの真上となる2階展示室は「彫刻室」(La salle des sculptures)と名付けられている。その一角にある「アトリエ」(L'atelier)には、多くの美術品や調度品が飾られている。奥の壁に見える楕円状の「聖母子像」(15世紀)はルネサンス期イタリアのセラミック彫刻家ルカ・デッラ・ロッビアの作品で、他にもロッビア工房のセラミック作品が飾られている。
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正面の大きな画は、13世紀シエナ派のピエトロ・デ・ジョバンニ・ダンブロシオ(Pietro di Giovanni d'Ambrosio)の「聖カタリナ」(1444)で、向かって左の円柱上のブロンズ胸像は、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(1509~1566)の「ミケランジェロ」になる。彼は晩年のミケランジェロとの交際で知られている。手前の机上のガラスケースの中にも板状のブロンズ像が飾られている。

こちらのブロンズ像はドナテッロの「聖セバスティアヌスの殉教」(1450)で、ルネサンス期に多くの画家によって描かれた代表的な宗教画である。半裸の姿で体をゆがませたポーズをとり、全身に矢を受けている構図が多いが、こちらの像は、矢を受けているセバスティアヌスだけでなく、イレーネや射手たちも表されている。
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反対側には、美術館の紹介を行うビデオコーナーが上映されており、側面の壁にも、多くの浮彫レリーフなどが掲げられている。
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棚の上に飾られているのは、ダルマツィア出身の彫刻家、フランチェスコ・ラウラーナの「イサベル・デ・アラゴン」(1500)で、凛として静かな表情をした美しい胸像である。その上には、「シジズモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像」(1468)が掲げられている。彼はリミニの領主で、領土拡大のための徹底行動が、法王ピウス2世の反感を買い、1460年に破門されている。その後も、教皇庁からは、暴君、好色漢で残忍な異教徒の世評をたてられるが、彼は最高の芸術家たちを招聘するなどし、リミニをルネサンス芸術の地に変えている。
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窓際の隅に見える胸像は「ロレンツォ・ソデリーニ像」(15世紀)になる。ソデリーニ家はフィレンツェの名門貴族で、彼の孫には、1512年にフィレンツェ共和国の元首(正義の旗手)となったピエロ・ソデリーニがいる。
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左隣(「彫刻室」の西側)となる展示室「フィレンツェの部屋」(La salle florentine)には、パオロ・ウッチェロの「聖ゲオルギウスの竜退治」(1430~1435頃)がある。ウッチェロは、初期ルネサンス美術を代表する画家の一人で、遠近法を科学的アプローチで駆使した絵画を創出したことで知られている。作品は手前の道から都市の門に向けて遠近法が使われているものの、登場人物たちは、前面に帯状に整列させられた単純な構図で、やや不自然な印象を受ける。
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竜退治の舞台は、トルコ・カッパドキアの首府ラシアである。この街のはずれに恐ろしい竜が住んでいたが、羊を生贄に捧げることで、その災厄から逃れていた。しかし、遂に生贄にするべき羊がいなくなり、人間を生け贄として差し出すことになり、くじ引きの結果、王の娘に当たってしまう。その時、この地を通った聖ゲオルギウスが、竜に戦いを挑み勝利し、喜ぶ街の人たちをキリスト教に改宗させて去ったという。

ちなみに、ウッチェロが約30年後に描いた「聖ゲオルギウスの竜退治」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー版)(1460~1470頃)では、遠近法に違和感は感じられず、ゲオルギウスと竜にも躍動感が感じられる。とは言え、ジャックマール・アンドレ版の方が、何とも味のある作品であり愛着を感じる。

「フィレンツェの部屋」の西隣の北西側の展示室「ザ・ベネチアン・ルーム」(La salle vénitienne)にも名品が並んでいる。上が、ジョルジオ・スキアボーネ(1437~1504)の「聖母子とパドヴァのアントニオ、殉教者ペテロ、そして二人の音楽天使」で、向かって左下が、パドヴァ派の画家カルロ・クリヴェッリ(1430頃~1495)の「救いの木を持つボナヴェントゥラ」(1490)になる。左下に見える小さな人物はフランシスコ会の寄進者である。
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ジョルジオ・スキアボーネの下で中央の大きな絵は、初期ヴェネツィア派を代表する画家の1人、ヴィットーレ・カルパッチョの「アマゾーンの女王ヒッポリュテとアテナイ王テーセウス」(1495)で、ギリシャ神話の世界が描かれている。ミュケナイ王は、ヘラクレスにアマゾーンの女王ヒッポリュテの腰帯を取って来いとの命令をくだしたため、アテナイ王テーセウスともに、アマゾーンに向かう。これは、個性的な帽子をかぶり馬に乗ったアマゾーン7人の女性戦士とテーセウスとの交渉場面を描いている。
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その右隣は、ボッティチェッリの「エジプトへの脱出」(1505)で、ヘロデ王による嬰児殺しを避けるために行われた幼子イエスを抱くマリアとヨセフとの逃避行が描かれている。エジプトへの逃亡を描いた多くの表現では、マリアがロバに座り、子供を膝に乗せているのがよく見られるが、本作は、メアリーは子供を腕に抱いて立っており、ロバは彼女の隣で草を食んでいる。
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「ザ・ベネチアン・ルーム」には、ジョヴァンニ・ベリーニ、アンドレア・マンテーニャ、カルロ・クリヴェッリなどの大作がそろっている。向かって左側には、アンドレア・マンテーニャ(1431~1506)の「この人を見よ」で、棘の冠を被ったイエス・キリストが民衆に晒されるところが描かれている。作品名は、キリスト処刑時のユダヤ属州総督のピラトの発した言葉に由来している。隣は、同じく、マンテーニャの「聖ヒエロニムスとトゥールーズの聖ルイのいる聖母子」(1455)で、印象的なキリストの顔と、深みのある個性的な人物表現に特徴がある。
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中央に飾られているのは、ジョヴァンニ・ベリーニ(1430頃~1516)の「聖母子像」(1510)で、この美術館のメインの一つともいえる作品になる。ベリーニはヴェネツィア派の第一世代(15世紀)最大の巨匠で、祭壇画、ピエタ・磔刑などキリストを主題とする宗教的作品を多く描いている。


マリアは、記念碑的な玉座に座り、後ろに張られたロープにカーテンが掛けられている。その玉座の垂直面とカーテンの水平面は十字架を形成している様に見える。

向かって右側にはマンテーニャの「聖母子と三人の聖人」(1485)がある。頬を寄せ合う二人を中心に、左右に、マグダラのマリアとヨセフが寄り添っており、そのヨセフの奥にはわずかに別の聖人の顔が見える。
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向かって右端のマンテーニャの祭壇画の下にある小さな画は、クリヴェッリの「聖人たち」(1493)で、左から、剣を持つ聖パウロ、中央が聖アウグスティン、右端が聖ブルーノになる。この指を咥えるポーズは、さまよう隠者のシンボルを表している。
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エドゥアール・アンドレとネリー・ジャックマール夫妻が収集した多くの作品は、美しい調度品と共に、美しく、華麗なブルジョワ邸宅の隅々にまで見事に溶け込んでいる。すっかり長居をした午後5時頃に美術館を後にした。
(2014.12.23~24)
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