京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

長浜城跡。

2009-01-28 13:57:49 | 近江の石垣。
この間の日曜日(25日)
近江の長浜城に行ってきました。



(長浜城)

織田信長の小谷城攻めで
功績の認められた
木下藤吉郎
(→以後、羽柴秀吉と名乗る)
滅亡した浅井家の大部分の領地を与えられ
この地に城を築きました。

それまで今浜と呼ばれていたこの土地を
長浜と改め
交通の要衝とすべく
城下町の建設を進めていきました。

当時の秀吉がどこまで考えていたかは
定かではありませんが
・日本海と太平洋とを結ぶ中継地点
・琵琶湖水路
・関東と関西の境目(入り口・出口)
・北陸の入り口
・・・
(自分の小さな頭でちょっと考えてみた)

まあ、全国に先立って鉄道開通されたという
長浜ですから
(明治政府も長浜にかけていたのです!)
(長浜・『長浜スクエア』編に続く)
いかに利点の多い土地か分かります。

(注:最初の投稿時点で、日本最初に開通と書いてましたが、それは誤り
 本当は、東京~横浜?開通から遅れること10年でした
 でも、本州では、大阪~大津に次いで3番目の開通)

少なくとも
そのような土地を
信長自身が治めるのではなく
秀吉に差し出したわけですから
いかに信長に信用されていたか分かります。

しかし
すごく残念なことに
(秀吉の後も数人の城主に受け継がれたのですが)
豊臣家が滅亡すると
長浜城は徹底的に解体されてしまいました。
石垣など多くの資材が
彦根城建設のために使われました。
今では
遺構がほんの少し残っているだけです。

城の絵図面もまったく残っておらず
いったい長浜城がどんな姿をしていたのか・・・
明智光秀の坂本城並みの謎の多さ?
みたいです。

徳川幕府
豊臣家の再興を恐れての所業でしょうか



長浜城、唯一の直接的(城跡で見れる)遺構は
『太閤井戸』です。
もうちょっと、柵があったり
仰々しく飾ってあるものかと思いましたが
むき出し
これだけで、寂しいものでした。

豊公園の琵琶湖畔にあるのですが
何しろ波がキツイ!


(井戸は右端です)

近くで遺構の詳細を確かめたかったのですが
波にさらわれそうで、怖くて近づけませんでした。

井戸跡から、数十メートル上がったところに
天守閣跡の碑と
豊臣秀吉の像



もうちょっと調べたら
まだまだ遺構はあるかもしれませんが
基本的に
残っているものは少ないみたいです。
(がっかり、というか
 そんだけ豊臣家の再興が怖かったんやね~という感じ)

それでも
現代の学術調査はすごいもので
こ~んな復元図があり
なんとなく城下町の姿は想像できます。



現在
内堀や湾のような部分は
すべて埋め立てられていますが
その昔は水城だったのですね。


これだけでは
すごく寂しい投稿で終わってしまいそうですが・・・



復興天守に入城してきました。



昭和58年、市民の寄付金などをもとに建設され
中は歴史博物館となっています。



お城の第一印象は
「小さいな」でしたが
歴史の経緯を知ると
愛おしさをも感じます。



そうそう
長浜城は
山内一豊公が初めてもらったお城でもあります。
(3代目の城主)
(辻しば若!は和豊です)

ブログ開設1年目の大河ドラマ
「功名が辻」の時にずっと行きたいなあと思っていましたが
行けずじまいでした。
やっと来れました。

城主となってから程なく
初めての子供(よね姫?)が生まれたのですが
大地震で亡くしてしまった

ど~しても我が子とダブってしまって
あの回はまともに観れませんでした。

(その後、一豊が高知に入城してからの残虐シーン?
 一豊公の施政も結構残忍なのがありますから・・・
 ドラマのあらすじを読んだだけで、観れませんでした
 どうしても、我が家の和豊公と重ねて観てしまうんですよね)
 


お城の中は
歴史博物館
ロビーには、滋賀県関連の歴史資料がたくさん売ってあって
宝の山?に見えました。
もちろん、ひこにゃんグッズみたいな可愛いお土産も
たくさんありましたし
狭いわりには
なかなかミュージアムグッズが充実していました。

展示品は
お城の資料もあったと思いますが
それより
地元のお祭り「おこない」についての展示が面白かったです。

つい先だって
我が町内上野町でも「おこない」行事があり
たぶん、それと同じような趣きの風習だと思いますが
ところ変われば品変わる?
興味深い展示でした。

お城の最上階は
お決まり?の展望コーナー
いい眺めだけど
雪がちらついてて
とにかく寒い!



お城の北側かな

中央の大きなマンションの左となり
富士山みたいな山の右側が
賤ヶ岳(しずがたけ)・・・柴田勝家との戦い
マンションの右側が
小谷城跡・・・浅井長政の城
だそうです。



お城の東側は
関が原方面
伊吹山があるのですが



すごい雪雲で
姿が見えませんでした。



こちらがお城の正面かな
綺麗です

長浜では
この時期、盆梅展が開かれていて
温泉・黒壁スクエアなどとセットで観光されることが多いみたいです。
長浜市観光協会

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
史跡探訪家 (うっちー2)
2009-01-28 19:25:10
凄い 現代になくてはならない歴史探訪家に なられてますよー
感心して読みました。
ブログ本にして 出版も夢でなく・頑張ってください。
返信する
なつかしい彦根城に (杏子)
2009-01-31 07:08:02
ようやく別荘から帰ってきました
クリックしてなんとまぁ すごい取材ページに
わ~ッと ”口ぽか~ん”で読ませていただき、感心いたしました
お見事でした 歴史の勉強、はじめからやらんといかんなとも思いました


彦根城、以前 いきました
広場に落ちていた木の実をひらって庭にまいたところしばらく忘れていましたが ぐんぐんと大きくなり幹の直径が20センチぐらいまで太くなり 大きな葉が茂りました

お隣に はらはらとおおきな葉が毎年落ちて迷惑をかけていたので、涙をのんで根元からばっさり、泣きたい思いでした…いまも根っこは残っています
また時々お邪魔いたしますので どうぞよろしく…{/dogeza/}
返信する
いやはや照れくさいです。 (うっちー様)
2009-02-13 10:12:05
もったいないお言葉ありがとうございます。
恐縮しております。

面倒くさくなると
ついウィキペディアに頼ってしまう
中途半端な内容ですが
なるべく嘘は書かないようにしたいと思っております。

史実はいかに・・・
と、文書が残ってない以上
謎の部分が多いですが
それ以上に
現代人の遺構への期待が
復興建築物に現れていますよね。
面白いです。

今は
図書館で借りてきた源氏物語(漫画)を
夢中になって読んでます。
千年紀も過ぎたことですし
関連記事も書いていきたいなあと思います。
返信する
お帰りなさいませ。 (杏子様)
2009-02-13 10:27:16
時々ブログをお邪魔しては
様子を伺っておりました。

先日、コメントを差し上げようと思ったら
うっちーさんのコメントが!
まわりまわったご縁に驚きました。
(で、結局書かなかったんですが)

今日は南風が入ってきて、少し陽気のようですが
まだまだ寒いですね。
お体の調子はいかがですか?
私・・・
昨年は、左のひざ関節、今年は右のひざ・・・
知らんぷり出来ないくらい、痛いです。
もしかして、親から受け継いでしまったかな、と
少々肝を冷やしております。
(母は、40くらいから痛み出したと)
とはいえ、バレーの使い痛みが主因と分かっているので、これは自己管理の問題ですね。
母なぞ、どんなに痛いのだろうと思ってみます。

ご家族の手前もありましょうが
ご無理なさらないように

彦根城で拾った木の実
大木になるなんて、すごいですね。
それを切らなければならないとは、とても残念なことでしたね。
私も今、裏山の渋柿、人様に頂いた蝋梅の種
長男が生活の授業で使った、アジサイの挿し芽の苗
育てています。
決して立派ではないけれど
だからこそ、すごく愛おしいんですよね。
間違って捨てられないように注意したいと思います。
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