本当の戦いはここからだぜ

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【感想】日本映画界の傑作『バトル・ロワイアル』の魅力とは?

2016-02-12 10:44:51 | 映画

こんにちは、かずひろ(@kazurex1215)です。








"邦画はクソ"、映画が好きでよく見ている人の大半はこう考えているかもしれない。気持ちは分かる、めちゃくちゃ分かる…。散々な出来映えに落胆し「裏切られた…」という経験は、個人的に邦画の方が圧倒的に多い。ハリウッドなどの外国映画と比べるのは、そもそもの規模が違うのでナンセンスかもしれないが、どうしても比較してしまうのは、ある意味仕方がないことなのかもしれない。しかし邦画だからこそ、邦画にしか出来ない映画もあるのだというのを、ぜひ知ってもらいたいと思って記事にしてみました。




それが20世紀最後の問題作と呼ばれた傑作
『バトル・ロワイアル』だ。





※グロテスクな画像はのっけていませんが、そういう描写を説明する文章もございますので、苦手な方はご注意ください。以下ネタバレアリの感想です。












『1クラス40人の中学生達が最後の1人になるまで殺し合う』という凄惨で衝撃的な内容が話題を呼び、ついには社会問題にまで発展した正真正銘の"問題作"。この映画が公開された2000年から少年犯罪が社会問題に発展していて、当時の衆議院議員がこの映画の規制を求める運動を行ったほどだ。今でもよく言われているアニメやゲームをやり過ぎると実生活に影響を及ぼす…という風潮の源流は、この映画なのかもしれない。



結果的にメディアがそれらを報道する事で逆に話題を呼び、興行収入31.1億円という大ヒットを記録した(ウィキペディア参照)。しかし映倫の定めた基準により「R-15」が区分され、15歳以下の人つまり劇中の主人公とも言える当時の中学生達は見る事が出来なかった。しかし、劇場公開時に見ることが出来なかった中学生達に向けて、翌年に「特別篇」として再び劇場公開がなされた。これだけ見てもこの作品の人気は常軌を逸しており、カルト的な人気が生まれていることは分かっていただけるんじゃないかな、と。



この作品が公開された当時、幼稚園児だった私はこの映画のポスターや予告編が心底怖かった。"殺し合う"という言葉の意味も分かっていたし、「こんな映画…何で、何で作ったんだ…公開してもいいのかよ…」と5歳ながらにもその悪趣味さを理解し、ひたすらに困惑していた思い出がある。CMで目にした教師役のビートたけしの存在感も強烈だった。殺し合いの概要を淡々と説明し、私語を話す生徒には容赦なくナイフを投げつけ頭に突き刺し、恐れ怯える生徒を見て不敵にほほ笑む。当時は現実のバラエティ番組を見ていても「きっとこの人はやばい人なのだ。そうでなければこんなことは出来ない」と勝手に思っていたのでビートたけしさんを心底嫌っていた。(たけしさんごめんなさい…今はめっちゃ好きです…)






キャストならびに制作陣も今では考えられないほど豪華なメンバーで、監督は「仁義なき戦い」シリーズや「蒲田行進曲」など、日本の名だたる映画のメガホンを取ってきた巨匠、深作欣二監督。今作の続編を制作中にお亡くなりになってしまったので、まるまる1本映画を手掛けたのはこの『バトル・ロワイアル』が最後の作品となった。そして主演の藤原竜也を筆頭に、前田亜季、柴咲コウ、塚本高史、栗山千明、高岡蒼甫、山本太郎、安藤政信など今の日本のエンタメ界を牽引している、おそらく二度と実現しないであろう豪華キャストが、この作品で一堂に会している。




当時の若手揃いだったこともあるのか、全体的に演技が舞台チックで少々大げさに感じるのだが、かえってそれが魅力的で、全力で演じているというのが伝わってきて若さに溢れているし、それがまた中学生っぽくて良いのだ。それでもこの時から藤原竜也さんが藤原竜也しているという事になぜか安堵してしまう自分がいた。






こんな悪趣味極まりない最悪の映画が、なぜここまでヒットしたのだろう。やっぱり単純に答えは一つ、"面白い"からだと思う。そんな『バトル・ロワイアル』の面白さの秘密を、稚拙な文章ではあるけれど、紐解いていきたい。




何よりこの面白さの一番の要因は『主人公たちが中学生』というところにあるんじゃないかなあ、と。中学生というのは小学校6年間の教育を終え、高校生という大人への一歩を踏み出すための大事な3年間の学生期間である。子供でもないし大人でもない、中途半端な年ごろ。だからこそ、この3年間で経験することが後々の自分の道を大きく左右する。中学で少し道に外れた子は後の人生でもその道を行き続けているように思うし、秀才の子たちは中学の時点ですでにずば抜けていた。これは私の経験則なので絶対とは言い切れないけれど、それだけ重要な時期であるというのは確かだと思う。



劇中の政府がこの殺し合いプログラムを中学生に施すのはある意味、理に適っている。多発する少年犯罪と失業率が悪化したことが原因で施行された「BR法」、何もかもが未成熟で多感な時期の中学生に残酷な戦いを強制させることで、その人格を砕き政府の思うままにする。こんな戦いに参加させられたら、生き残ったとしても、未来に絶望し何もする気すら起らないだろう。しかしそんな未成熟な劇中の中学生が無人島で、もがきながらも必死で生き抜こうとするさまは、残酷でもあり儚くもあり、そして美しくもある。




与えられた時間は3日間、一定時間ごとに禁止エリアも増えていき、そこに触れると首輪が爆発。3日間経っても生き残りが一人にならない場合は全員の首輪が爆発する。否が応でも殺らなければ死ぬ、地獄のような環境に生徒たちは追い込まれていく。昨日まで共に笑いあい家族のように過ごしてきたクラスメイトの子たちが、突然敵になる。殺したくないのは当然、だけど戦わなければ自分が死んでしまう。こんな究極の選択があるだろうか…。ここで戦う決意を固め襲ってくる者の怖さは並大抵ではない。



主人公の七原(藤原竜也)視点でもちろん物語は進むのだけど、何とかして島から脱出しようと試みる者、ゲームに絶望し自ら命を絶つ者、恐怖に怯え何も為すことが出来ない者、そしてこのゲームに乗る者、1人1人焦点を変えて違う側面から考えてみるのも面白い。



もちろん物語のメインは生き残りをかけた戦いなのでアクションが重要だ。中学生同士が戦う独特の緊張感、初めて包丁を手にした子供のような危なっかしさで見ている側をハラハラさせる。例えば、七原相手に男子中学生が小型の斧を振り回すだけでも、本人がどう動くのか想像が観客にもつかないし、むしろ自分を傷つけてしまいそうな怖さがある。しかし他方で、川田省吾(山本太郎)や桐山和雄(安藤政信)が、カッコいいアクションの担い手になっているので観客は飽きることが無い。廃れた診療所での両者の格闘シーンでは緊張感と迫力が見事に同居しており、川田と桐山の場慣れした者同士の一進一退の攻防もハラハラするし、最終決戦の一騎打ちも燃え盛る炎をバックにたまらなくかっこいい。



特に自分が気に入っているというか、まさしくこれがバトル・ロワイアルの真髄だと思っているシーンがある。それは灯台での女子グループのシーン。ケガをして傷ついた七原を看病してくれたのは生徒会長率いる5人の女子グループで、島からの脱出を試みている者たちだ。しかしグループの一人で気弱な性格の榊祐子(日向瞳)が、七原と男子生徒が揉み合いになった末、相手の男子生徒を殺す現場を目撃していた。


突発的な事故だったものの、その事実を知らない榊は、恐怖心から七原を殺そうと計画し、七原用に用意された料理に青酸カリを盛る。榊が七原のいる部屋に料理を持っていくはずだったが、仲間の一人がつまみ食いをしてしまう。驚愕の表情を浮かべる榊を背景に、談笑する残りの女子たち。もしかして何も起こらないのかな…と思った次の瞬間、つまみ食いをした女子の一人が血を吐き出し瞬く間に死んでしまった。



ここからが凄まじい。たとえ仲間であっても他人は他人、心の底から信頼はしたくても出来ないのが本音で、いつ誰が裏切り自分を殺さないという保障なんてどこにもない。不安定で今にも千切れてしまいそうな信頼関係でグループ内の均衡が保たれている。しかしこの仲間の死が『疑念』と『不安』という誰もが持っている負の感情のフラストレーションを閉鎖的な空間で一気に爆発させる。



飛び交う怒号と叫び声、「お前がやったんだろ!!」「私は知らない!!」不毛なやり取り、そこからだんだん何の関係もない罵倒へとシフトしていく。こうなってしまえばもう収拾がつかない。そして緊張が最大限に高まったとき、銃弾が放たれる。壮絶な撃ち合いになり、全員共倒れ。銃声を聞いて駆けつけた七原もすでに遅く、榊も自分の行った罪深さに耐えられなくなり自殺した。ここのシーンは何度見ても悲しく、やるせなくなる。どうにかして死なずに済む方法はなかったのかと考えてしまうが、いずれにしても結果論で終わってしまうのだけど…。






この灯台のシーンでも本編を通しても言えることだけど、登場人物が多い。クラス40人一人一人に焦点を絞り丁寧に掘り下げていくと、映画としての尺はもちろん足らないし不可能だ。だが実際に観終わって振り返ってみると、名前を思い出すのは正直難しいのだが、どんな子たちがいたかを思い出すことは案外簡単に出来てしまう。なぜかというと、それぞれの死に方に個性が出ているから。死に方で個性を出すなんてあまりにも不謹慎だが、この映画だからこそ許されることだし、演出上のこの判断は英断だと思う。死に方の描き分けで前後背景にどんな事があったのか観客に想像させそこで脳内補完させ、印象に残りやすい。それでも一人一人の人物背景を丁寧に描いてほしいという人は原作の小説、見る人をおそらく選ぶであろう漫画版をぜひ参照してもらいたい。






好きな女子をひたすら探す杉村(高岡蒼佑)と爆弾を作って脱出を計画する天才ハッカーの三村(塚本高史)、彼ら2人は七原(藤原竜也)の親友。三村に関しては、知識量が中学生とは思えないのだけど、カッコいいから許されてしまう。三村はお手製の爆弾で政府の連中を爆破させられたのに夢半ばで敗れてしまう儚さ、杉村は好きな女子を見つけるもその女子生徒の銃弾に倒れ命を落とすという何とも悲運な最期が、それぞれのキャラを惹きたてている。栗山千明さん演じる杉村と幼馴染で陸上部の千草は、自分に言い寄ってきた同級生の男子に「全身全霊をかけてお前を否定する」的なことを言ってナイフで串刺しにするという相当ヤバい奴なのだ。いくら嫌な奴でもここまで出来てしまうとは…。










そして後述するキャラに次いで、多く人を殺しているキャラが柴咲コウさん演じる相馬光子だ。いわゆる不良少女で素行の悪さからあまりクラスメイトとも馴染んでいない様子。柴咲コウさんの鋭い目力とクールな佇まいが見事にマッチしていて、相馬光子の表と裏を見事に演じ切っている。猫を被った時の怯えた表情から一転、殺意たっぷりの冷酷な恐ろしい表情に切り替わる瞬間は何度見てもゾッとする。





人物の中でも特に異彩を放っていたのが安藤政信さん演じる桐山和雄、クラス外の参加者で転校生という立ち位置で、原作ではクラスの生徒の一人なのだが、このキャラクターの設定をそのまま描くのは難しいと判断して、転校生に変えたのかもしれない。

原作では容姿端麗で成績優秀、どんなこともこなす秀才なのだが、不慮の事故により感情を失い、人を殺すことに何の躊躇いも持たないという狂ったキャラなのだ。このまま映画に反映してもよさそうなのだが、相手の繰り出す拳法を未経験ながらもそのまま見て自分のものとしてしまうコピー能力を発揮したり、人間離れした身体能力を披露するなどあまりにも現実離れしたキャラなので作品そのものが一気に現実味が遠のいてしまう。




では映画版ではどのように描かれているかというと、シンプルに快楽殺人者である。1人だけ派手な金髪に学ランを着用し、劇中のセリフは一切なし。思い切った改変で、このご時世だと原作ファンからたくさんのクレームが飛んできそうだ。私的にこの改変は素晴らしいと思う。桐山を快楽殺人者というキャラにすることで、現代の社会問題の少年犯罪の暗喩も込められているように思えるし、何より桐山というキャラにとって最も重要な、命を何とも思わない冷酷さは損なわれていない。



原作の桐山は表情一つ変えず一人一人殺していくが、映画では全くの逆で笑いながらゲームを楽しむかのように命を奪っていく。例えば、見晴らしの良い崖のような場所でスピーカーを使い、戦いを辞めようと説得する女子生徒2人を後ろからマシンガンでめった撃ちにし、まだ息が続いている方の口元にスピーカーを近づけ悲痛な叫び声を周りに聞かせたり、殺した生徒の首を切り落とし口に手榴弾を詰め込んだり、完全に遊び感覚で楽しんでいる。



天才ハッカーの三村(塚本高史)らと交戦状態になった時には、三村が命と引き換えに作動させた爆弾の破壊力で両目を失うが、戦う事を辞めず恐ろしいまでの生命力を持ち合わせている。観客からの同情を与える一切の余地もなく、最後の最後まで悪役を貫き通した桐山…最高だ。






脇役だけでもここまで濃いキャラクターが揃っているのだが主役の2人、七原(藤原竜也)と中川(前田亜季)は物語の根幹として決してぶれない。絶望的な状況でも何とかして誰も死なずに脱出する方法を探し生き抜こうとするが、どうしてもそれは綺麗ごとになってしまう。脱出する方法のツテもないし、制限時間が3日間しかない時点でほぼほぼ不可能。同じ思いを持っていた女子生徒たちを2度も、七原は救えず全員死んでしまった。この時の七原のやりきれない悔しい気持ちを想像すると、本当に辛くてたまらない。だがそんな七原を信じ、どこまでもついていこうとする中川の一途な愛が、この絶望的な状況下でこそより引き立つというか輝いて見えるのである。一度はぐれてしまった二人が林の中で再会し、大雨の中で抱き合うシーンはかなりグッとくる。ここめちゃくちゃドラマチックで綺麗な映像なんですよね…。






そんな2人と偶然にも行動を共にすることになった転校生の一人、川田省吾(山本太郎)がまた渋くてめちゃくちゃカッコいい。実は川田は数年前のプログラムの優勝者で、同級生の恋人を守りながら戦い抜いたのだが、最終的に恋人を殺してしまった。恋人は川田に生き残って欲しくて、わざと川田を銃で撃ったのだが、川田自身はそんな彼女を守り切れなかった自分自身に後悔していて、七原を昔の自分と重ねていた。山本太郎さんの自然な関西弁と熱のこもったアツい演技が見事にはまり役で、どうして今は政治の方に行ってしまったのだろうとすごく残念な思いでいっぱいです、俳優業をぜひまた再開して欲しいものですね。





この映画の最も伝えたい内容は何なのか。それは未来を担う若者への応援なのではないだろうか。「走れ」というメッセージ、これが監督の一番伝えたい事で、何も監督は今の何も知らない平和な世界に育った若者を震え上がらせるためにこんな映画を作ったのではないと思う。経済不況や犯罪の多発など先行きが不安な日本において、どれだけ理不尽な事にぶつかろうとも絶対に諦めずに前に進んでほしいという、遠まわしではあるが監督なりの現代の若者に向けた応援なのかもしれない。




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