水の大切さを、昔の日本人は理解してきちんと伝えてきました。
僕の故郷、福井県には永平寺があります。
開祖である道元は、人間として生きていく上での重要な作法を、
水との関わりに託して説いています。
永平寺の前には永平寺川という小川があり、
そこに半杓橋という名の橋が架かっています。
この半杓橋で午前3時より行われる水汲みが、永平寺の一日の始まりです。
お坊さんたちは水を柄杓で桶に注ぐ時、
柄杓の水の半分だけを桶に注いで残りの半分は川に戻します。
なぜなら、すべての水を自分だけのものにしないという戒めです。
そのようにして汲んだ水を山に持ち帰り、ご飯を炊き、
とぎ汁は植物にやったり床を拭く雑巾を湿らせたりして徹底的に使い、
最後に門前に水を撒いて一滴残らず使い切ります。
水を汲むたびに半分を川に返すと、倍の手間がかかります。
水は万人のものであり、後世の人のためでもあるのだから、
すべてを我が物にするなという道元さんの戒めだったのでしょう。
同様の作法が茶道の中に受け継がれました。
沸いたお湯をお茶碗に半分注ぎ、半分を釜に戻すという作法を、
花嫁修業などでお茶を教わった方ならご存知かもしれません。
禅宗のお茶汲みの作法を、千利休が取り入れたのだと思います。
このように水を大切に扱う作法が、日本の伝統の中には残っているのです。
中国で天災が起こる時は、大飢饉か大水害のどちらかです。
大水害は、水を粗末に扱う人間の失敬な行為が、
龍神さまの怒りに触れて起こると古来より言われていました。
僕も水を飲む時に、つい汚れてもいないコップを洗い、
コップ3倍分ぐらいの水を無駄にしてしまいます。
こんなことも水の神様の怒りを買っているかもしれません。
水は風水においても重要な要素です。
環境工学を学んだ建築家も、風水に基づいて龍の通る道を用意します。
今でも建物のしかるべき場所に置かれた龍の置物は、
治水のメタファーとなっています。
陰陽五行説などの理論は、現代の科学とも重なり合います。
火が強い場所には、それを抑えるための水が必要。
二日酔いで胸焼けが起これば、水を飲むのもこれに似ています。
化学的にはナトリウムを抑えるためにカルシウムを投入し、カリウムでバランスをとるという図式です。
デザインの世界では、よく機能性が語られます。
水の機能的な特徴は、高いところから低いところに流れること。
逆に、高いところへ運ぶには、圧力をかけなければなりません。
だから自然界でクジラが水を吹き上げるのを見た時や、
こんこんと沸き出す清水を見た時に、僕らは生命力を感じます。
水は物理的機能に加え、神秘的機能も持っています。
僕らが何気なく水道の蛇口をひねる行為は、
源流で葉っぱを用いて水を集める行為に歴史的には遠くから繋がっています。
この距離感を感じることが、大事なのです。
これから、地球の水はどうなっていくのでしょう。
最も水不足が心配されるのは、おそらく中国そしてアフリカ、南アフリカです。
水不足が起こった時、最後には原子力に頼るべきというのが私の理念です。
ハイブリッドカーの動力にも水が必要です。
今後は水を工業用に作ることも必要になってくるでしょう。
水は商品価値を持ち、いまや世界中の水に値段がついています。
その値段も石油よりも高いのですから驚きです。
僕らの「文明の根本には水」があります。
天から降ってくる水、大地から沸いてくる水をいかに浄化して使うか。
そんな知識を技術的に進化させて、世界に提供するのがこれからの日本の役割になるでしょう。
自動販売機で買ったペットボトルの水を開封する時、
そんなことをみなさんにちょっと考えてほしいと思っています。
デザインとしての存在感と高級感のある水
Four Seasons Hotel Chicagoの常備水
ミシガン湖を臨んでの存在感。
この水は、容器がガラスで持ち運びでは
「おしゃれ感」があって、
ファッション的な形態容器に利用されているのを
海外ではよく見かける
* * * *
【関連記事】
私の選んだ水
水は調べて好きになるべきだ
水晶は美しい! (3)
水晶は美しい! (2)
水晶は美しい! (1)