ソースは脳内(改)

親から再独立を目標に活動中のかずみぃの日常の日記です。

J2監督主観的評価・第1回松本育夫 前編

2005-07-21 11:11:27 | J2
 主観的に今季J2の監督を評価してみるコーナーをネタ作りのためはじめます。第1回目は我らがサガン鳥栖の松本監督。

 初めて自分が松本育夫の名前を知ったのは京都パープルサンガのGMになったときだ。当時はまだJリーグ開幕以前の名前を知らなかったのでどんな人物なのかは全く知らなかった。結局京都では98年にチームの不調の責任を取って辞める形だったと思うが、99年シーズン始まって間もないころに当時J2でJ1昇格へのスタートダッシュに失敗した川崎フロンターレの監督に就任。ブラジル人コーチに「マツモトさんのやり方は古いよ。今のサッカー界では通用しない」と言われながらもチームを建て直し見事J1昇格を決める(しかも鳥栖戦・・・)。しかしフロントとの確執により実権のない社長へ祭り上げられ、チームのJ2降格の責任を取って社長という職を辞任し川崎を去った。

 その後長野の地球環境高校サッカー部監督に就任し創部間もないチームを選手権出場&1回戦突破をへ導く。松本監督がどんな人物なのか知りだしたのはちょうどこの頃だ。
 しかし松本監督は選手権出場から入部希望者が増え学校側の拡大路線に反対し、統率の取れる少数精鋭を主張したが学校側とは物別れに終わり再び現場を不本意な形で去ることとなる。

だが還暦を越えた老師の現場復帰は意外にも早く訪れる。

 1年現場を離れたが、Jリーグの推薦を引き受ける形で当時ぶっちぎりJ2最下位でチーム状況、そしてチーム存続すら危うかったサガン鳥栖の監督を「サッカー界のために力になりたい」、「火中の栗を拾う覚悟で来た」というまさしく決死の覚悟で就任した。だが、この仕事は数々の苦難を乗り越えた松本監督にとってもこれまた想像を絶するものだった・・・。

最新の画像もっと見る