Are you writing ? No I was just thinking.

インド洋にほど近い街に家を建てました。よく働いた後はホリデーで充電しまた進んで行くのです。

紛争地の看護師 これほど衝撃を受けた本は久しぶりでした。

2019-02-06 17:40:52 | 読書の時
私のブログのカテゴリーには
旅って素晴らしい
と言う項目があり私自身ブログの中で
世界を見に行こうとだの
旅って素晴らしいだの

一体お前は何のつもりで
世界を見たと思っているんだ??

と今までのブログでの発言を
全てかき消したくなる本でした。

著者 白川優子。
幼い頃から国境なき医師団に憧れ
メルボルンでの看護師生活を得て
実際にその時が来たのだと
凛として戦地に向かうその姿勢。

世界最貧国の南スーダンでの
戦争が実際に始まった最中で
キリングフィールドと化した死体が
ゴロゴロと連なる路を仲間の医師と共に
進み生存者を救おうとする最中
道ばたに無数に転がる死体に
食らいつくペリカン程もある
鳥のあの眼つきが忘れられないと言う。

死体がいくつも浮かんでいるナイル川
の水を飲まざるを得ない状況の医療活動。
イラクにパレスチナそしてシリアと
屈強な兵士でも精神が折れてしまいそうな
現時代の本物の激戦地での医療の活動記録。
そんな国ばかりで救援活動を行って
いるのだから必然的にぼろぼろと
先進国の医療体制であれば
亡くなるはずもない人々が
目の前で簡単に力尽きる。

陽の高いうちは戦闘機が飛んでいるので
日が暮れてから子供らは通りに遊びに出る。
見たことがない珍しい物を見つけ
サッカーか何かの様に遊んでいたのか。
その子らがオモチャとして遊んでいたのは
時限爆弾だった。
遊んでいた子供らの手足が粉々に吹き飛ぶ
その全員の手足の切断手術に従事したと言う。

私は2度と世界を見に行こうとか
絶対に軽々しく言えない。
私が今いる それか見に行こうと
している国は世界の実に
じつに良いところだけなのだ。

世界を見ると言うことは
私の様な良いところだけ時々摘む
そんなのは世界を見るとは全然違うのだ
と思い知らされた本。

この本を一気に読破し
世界を見に行きましょうなんて
言葉は2度とブログで使うことは
絶対にない。

旅は実に素晴らしいと思う。
様々な国の違う空気と文化に触れて
非日常的な時間をしばしの間堪能できる。

でもこの本を読み終えて
私がいる世界は世界を見に行くのではない。

世界の中でも最もたる
安全圏のヌクヌクした中での小さな経験を
時々しているだけなんだと。

それだけの事なのだと痛感した。
本当に良い本に出会えた。
コメント

韓国人は良くも悪くも逞しい 浮浪児1945

2018-04-17 17:29:04 | 読書の時
野菜料理に長けている
韓国料理のなかでも
しょっ中作るのがチャプチェ。

冷蔵庫の余り物野菜を
刻んで牛肉の細切れかミンチ肉に
焼肉のたれ味を絡ませ
最後にごま油を混ぜて適当に
作って行く。

今読んでいる最中の本。
浮浪児1945。

東京大空襲の後にひとりで
残された孤児達が上野駅に集まり
戦後直後の東京で浮浪児として
どうやって生き延びて来たのか

そして

今も日本の極道会 芸能界 様々なところに
表向きは日本人として幅を利かせている
韓国人が何故に現在の日本での場所を
作っていったのか
凄く納得が出来る本でもある。

話は逸れるが
戦後の日本の闇市のたくましさも

すごい。

浮浪児達はアメリカ軍の兵士に
気にいられるとジープに乗って基地内に
入る事が出来たそうだ。

そしてアメリカ軍の基地の残飯には
残り肉がたんまり入ていて
残飯をゴミ箱からゴッソリと盗んでは
闇市のスープ屋の元にもってゆく。

そして闇市のスープ屋は浮浪児の
残飯を買い取り
ごちゃ混ぜスープとして売り捌き
大繁盛だったと言う。

しかしこの残飯スープ
時には使用済みのコンドームや猫
の死骸が売り終わった後の
スープ鍋の底から出て来たと
当時の浮浪児が証言しているから凄まじい。

そして戦後の闇市を
あらゆる方向から仕切っていたのは
韓国人が大変に多く
テキ屋に極道に芸能と
戦後 日本が復興に向かって進む中

韓国人が幅を利かせ
今の日本の構図が出来たのは
当たり前のことなのだと納得もした。


まだこの本は半分しか読んでいない。
残りの半分を読み終えたら
また違うのかもしれないが

今はどうして日本で
韓国人が特に芸能界 極道会
にたくさん居るのか

簡単だったんだな

これは歴史が作った必然なのだ。

コメント

この地獄を生きるのだ

2018-02-12 17:20:40 | 読書の時


人身事故のためxx線は現在
運転を見合わせております。


日本に帰国し都心に一週間でも
滞在でもしようものなら
必ずと言ってもよい程
電車への飛び込み自殺に間接的に遭遇する。

きっとそれが彼の今の全財産なのだろう。
蒲田駅前でキャリーケースを
足元に置きただ座っているだけの人。
ただガードレールに腰掛けている
だけなのだが彼の表情は
行く場所もやる事も無い
と納得させるものがあった。

違う日は同じ蒲田で
日雇い労働者の若者だろう。
引率の人に連れられてゾロゾロとミニバンに
乗って行く彼らの諦め切ったような
まるで覇気の無い表情を見た時は

日本って一度フェードアウト
してしまったら
もう決して這い上がれない怖い国だ
と正直思ってしまった。



この地獄を生きるのだ
小林エリコ 著


普通に働いて普通に生きたかった。
その「普通」がいかに手に入れるのが
困難なものかを知った。

ブラック企業で働き心を病んで自殺未遂。
失職、精神障害、親との軋轢、貧困、希死念慮。
女一人、絶望と希望の記録。
彼女の怨念のように響いてくる文章が
まるで血で書かれたような迫力で
Kindleでダウンロードし一気に完読した。

人はただ漠然と生きることを苦痛に感じる。

仕事があることで人は孤立しないで済む。

うつ病にかかり仕事を失って
生活保護に頼ることになった著者。
最低限の衣食住は保障されてはいるけれども
生きているだけの生活。
社会のお荷物になっているという
感覚が彼女の心を更に蝕む。


朝起きて
あー今日も仕事かぁ......
ご飯を食べ取り敢えずいつものように
仕事に行く。

仕事が終わったら普通に帰り
たまには友人と外食したりお酒を飲んだり
誰かにグチを聞いてもらったりする。

そんな大半の人達が普通に送っている
普通の毎日と言うものを

まるで血を吐く思いで
求め続ける人生のその苦しさが

ビシバシとど直球のように
この本から伝わって来た。

人間の尊厳というものとは
私達 大半の人達が
当たり前のように過ごしている
毎日の積み重ねが支えている

そう教えてくれる一冊でした。

コメント

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。

2017-07-12 17:50:16 | 読書の時
日本から帰って来て
早いもので1ヶ月が経った。

年々の帰国時に薄々とは
自身でも感じてはいるのだが
何だか年老いて来た両親との
距離感が広がってきたように感じる。


頑固で我が道を往く父は
もっともっと意気地になってしまい

幼心にマイナス思考の塊のような
人だと思っていた祖母に
ソックリになってしまった我が母。

今年の帰国時は
実家に滞在している事が
何だか心地良くもなく
はっきり言って逃げる様に
故郷から横浜に向かったのだ。


そしてパースに戻ってから
気が付いたら1ヶ月以上母に
メールすらしていない。

そんな時にKindleで出逢った本。
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。

著者の母が末期胃がんの宣告を
受けるシーンから始まり
母を亡くして、その後自分の気持ちが
落ち着く頃までが淡々と
描かれているコミックエッセイだが
ボロボロと泣いてしまった。

誰もが乗り越え通らなければならない苦難。
それを乗り越えてやっと人は
一人前になるのかもしれない。

そんなことを思わせてくれる
良本。

近いうちに私にも同じ経験が来る。
絶対に来る。
だって死なない人はいないもの。

そんな事を改めて
思っていたら

母との 父との時間を今
出来る限り作ろうと改めて思った。

横浜に向かう日
母が故郷の駅まで運転してくれた。

早く早く 故郷から出たくて
「じゃあ またね」と
素っ気なく言った私に
母は腰が痛いのに
運転席からわざわざ出て来て
笑顔で手を振っていた。

そんな母を見て
もう アッサリと見送りしてよー!!
さっさと駅構内に消えた私。

しっかし
何て我儘で融通の利かない子なのか。
私は。
それも年に一度しか会えないと言うのに!!
このオバカッーと言いたくなるよ。自分に。


忙しさを理由にメールすらせずに
年老いた両親から目を逸らした自分自身に
強烈なパンチをくれた
そんな本でした。



このブログを読んで下さっている方にも
最近家族を亡くされた方
または失くそうとしている方が
いるかもしれない。
たかがコミックですが もしかして
気持ちの整理をつけるために役立つかもしれない。
そう切に思いました。

私はこの本をKindleに保管し続け
来るべき時が来たなら
また読んでみようと思っています。

コメント

殺人犯との対話

2016-07-06 19:10:46 | 読書の時
ぎゃっー!!!

自分も確実に年を重ねて
いるのは重々承知だが.....

本日ブラシに長い〜い白髪
が引っかかっているのを発見!


私専用のバスルームなので
パートナーのものでは絶対ない。

思わず鏡に身を乗り出して
髪の毛の分け目を弄って
みましたわいっ!

白髪かよー....
とほほほ〜。


そんなこんなで
自分の老化現象を
また一つ発見した本日

Kindleでダウンロードしたのが
殺人犯との対話 著 小野一光


実際に著者が刑務者や拘置所に
出向いたり手紙でやり取りをするなどして
本書では北村孝紘、松永太、角田美代子など
平成の凶悪殺人事件の主犯10人に迫っている。


大牟田事件の次男、北村孝紘は
ヤクザ一家の中で育ち
たったの2日間で4人を殺した。

しかも次男が被害者の首を絞めている最中に
父母がドリンクやタバコをくわえさせたり
もう1人の息子は曇った車の窓ガラスに
指でひとごろしとなぞってみたりと
理解の範囲を超えている。
(このヤクザ一家、
父母 兄弟全員に死刑判決が出ている。
重ねていうが一家全員が死刑だ。)

この凶悪な犯罪をいとも簡単にやってのけ
裁判では傍聴席に睨みを利かせ
裁判長に自身の職業を問われた際は
「ヤクザです!」と答えた
北村孝紘。

刑事に最後に充てた手紙は
「最後に、大好きで最高の警察官・刑事たちマジありがとうございました。
じゃあ『さようなら』は嫌いなので
『バイバイ』」と手紙を書き
著者との最後の面会では涙を浮かべながら
「本当にありがとうございました」
と深々と頭を下げたとある。
この本では北村の人懐こっさを
映し出すのだがそのわずかな描写が
北村一家が犯した
常軌を逸した連続殺人の闇を
より深くしている感じがする。

「北九州監禁連続殺人事件」は、
主犯である松永太が自らの手を一切汚さず
マインドコントロール下に置いた
被害者たちに(主に家族)殺し合いと
遺体処理をさせ合計7人が殺害された事件。

福岡拘置所で松永と面会すると
「私の裁判はね、司法の暴走ですよ」
「いわゆる魔女裁判のように
裁こうとしているんです」
と饒舌にまくし立てられる。
「一光さん、神に誓って私は殺人の
指示などはしていません」

生き残っている家族に遺体の切り分けや
肉を鍋で煮込むなどの処理を命令していた松永。

著者は
「大きな目でこちらを射抜くように
直視して言い切る姿は、確信に満ちていた」
と振り返り
「悪魔とは意外とこんなふうに
屈託のない存在なのかもしれない」
と殺人犯の素顔を描写している。

この松永のように
一家全員を消して反省のかけらもない
人間を理解しようとするのは無理だ。
「サイコパス」と断定し
自身の理解を放棄することで、
自分を納得させるしかないと思う。

他にも凶悪殺人事件の犯人や家族への
ルポ及びインタビューが記載されている。

これは実際にあったのか?
こんな事が本当にかと?

私は頁を捲るたびに
戦慄を覚えるのだ。
コメント