今日の勤労感謝の日は、夫との結婚記念日でもある。
娘に「23日は結婚記念日だよね」と言われて、夫が亡くなった時に45年の結婚記念日に息子たちから、花束をプレゼントされてもう5年経つなあと思ったら、じゃあ丁度50年の金婚式だあ。
夫が生きていたら、金婚式のお祝いを家族みんなにお祝いして貰ったことでしょう。
やはり一人なってしまったら、金婚式だっことも忘れていました。
でも、朝家に咲いている菊を供えて、好きないつものコーヒーを入れて、「お父さん 今日は二人の金婚式だよ」と呼び掛けてお参りしました。
夫のアルバムを見てみると、幼馴染みから送られた小学校卒業式の写真や母親と兄との写真が、子どもの時の写真で、高校生の時は、大阪に行った時の写真だけでした。
名古屋港の検数協会のメンバーと不当解雇のデモや登山の写真もありました。
港のメンバーが作った「みなと勤労者山岳会」が行ったバスハイクで、山岳会に入会して、夫と知り合いました。
1971年11月23日に会費制の手作りの結婚式を港湾会館で行いました。(式次第と誓いの言葉)
3人の子どもの誕生や長崎への里帰り、みなと医療生協のメンバーの職員旅行や家族のキャンプや子供達の入学の写真があり、
母と家族で三宅島への船旅を楽しんだことも思い出となりました。
近所の人たちと「歩くの会」も月一度鈴鹿の山や尾瀬ヶ原に行ったり、兄弟会の食事会も年に一度希望荘やホテル木曽路など行きました。
子供達の結婚式は長男は2000年にハワイへは招待してもらい、次男は明治村の教会で、結婚しを行いました。
二人で上高地や宮崎の叔母へのお見舞い、母と沖縄への旅や娘と信州美術館巡りや夫の友人夫婦との伊豆の旅、山口のSLの旅、大紀町日本一ふるさと村の旅、家族の誕生会や年一度の家族旅行、孫たちの誕生、最後は夫の闘病生活等の写真、どの写真も思い出が詰まっています。
2013年8月10~12日までの長崎への最後の帰省は、夫の兄のお見舞いも兼ねた旅でした。
3年後にお互いが永遠の別れとなるなんて思いもしませんでした。
結婚50年の思い出がイッパイ詰まったアルバム、これからも毎年生きている限り結婚記念日には、開いてみたいものである。
お父さん!私があの世で会うまでは、いつまでも一緒だよ。
今日の万歩計は、4,777歩でした。