限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

誰もが生きる喜びを!(できること)の見つけ方 全盲女子大生が手に入れた大切なもの

2014-12-27 10:22:25 | 日記

 老人ホ-ムに知人が入所しています。訪れるたびに「もう だめだ」とつぶやくのです。生きる喜びが、介護という名のもとに失われているのでしょうか?障害児学級の指導の中にも、例として高尾山遠足の帰り、本人ができるのに手を貸して引きずるようにして階段を効率よく下りることをしていませんか?安全性重視で個々に応じてよりそうよりも 見えない全体に手を貸していませんか?(できること)の見つけ方 岩波ジュニア新書石田由佳理 西村幹子著は私たちに多くの視点を投げかけてくれます。

 2011年全盲の石田由佳理さんが国際基督教大に進学 1通のメ-ルを西村幹子大学教員に出したところから始まるのです。この大学の入学式は世界人権宣言の原則に立ち学ぶことを宣誓するのです。石田は全文を読んだことがなかったので読んでみると 第1条「すべての人間は、生まれながらに自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。」第26条には「高等教育は、能力に応じ,すべての者にひとしく解放されなければならない。」石田さんからのメ-ルはまさに私がこの大学の理念を理解し実践できるかの挑戦状のように思えました。3,4ペ-ジ

 3人兄弟の3番目1歳3か月両目摘出中学卒業まで盲学校 井戸の中の蛙ではだめと東京の盲学校 「あんたは眼がみえないのやから、どうせ将来碌な就職先もないのやから、高い金使って大学行って何になる。会社は1流大学を出た全盲より、名もない大学出でいいから弱視の方を採用するんや。世の中お前が思っている以上障碍者って邪魔なんや。」と17年間娘を育てた思いを娘にぶつけてきた母親。「家族って何だろうか。存在を否定されて」悩み苦労して自分の中に閉じこもり  フイリッピンにボランテアでいき そこで視覚障害児教育の現場ではただ預かり5歳から14歳の子がいるのに保育園のようで、ただ座っているだけ、「触っちゃだめ」から手で触り聴覚を使い基礎的な読み書きを教え可能性を信じて‐でも現地の教師を激怒させたり、一人でなんでもできること事の基準 フイリッピンではガイドと共に行動 単独で外出できるとか教育を受けているとかで人を判断したかった。しかし「世の中に基準なんてないんじゃないか、自分の基準は相手に当てはまらない」と思うと相手の見方が変わる気がします。強がるのでなく素直な気持ちを伝えあう 相手を受け入れる 尊重し感謝を学んでいくのです。

 (「この世で最大の不幸は、人から見放され、だれからも必要とされないと感じることなのです。」「助けられることによって助けようとする意識が芽生えたように、本当の強さは自分の弱さを自覚することによって生まれるのかもしれません」「すべての人が自分の可能性を広げることができるためには不平等な関係を克服して選択肢をめぐる交渉や利害関係のすり合わせが行われる必要があるでしょう。「支援する側」「される側」や「強者」と「弱者」と不平等な関係性でなりたく社会ではなく、だれもが「必要とされている」と感じられる共生社会に変えていくことができれば、私たちの社会も もう少し生きやすくなるかもしれません。)145‐157抜粋

 ぜひ 健常者も障害の有無に関わらず誰にでも当てはまること社会でつくられる障害もあるのです。この本から多くのことを私は学びました。

 なお この大学の入学式は世界人権宣言を守り学ぶことを誓います。と 日本の学生代表は英語で外国の学生は日本語で宣誓し日の丸も君が代もなく パイプオルガンの演奏 学生の服装も個性豊かでした。9月の入学式に参加した私は感銘を受けました。祝う会では、隣の髭を生やした青年は帰国生でおばあちゃんは「日本の孫は幼く、この孫はとてもフレンドㇼ-で優しい」と言って18歳とは思えない気配りで祖母に料理を運んでいました。

 日本の学生がなぜ幼く視野が狭いのか❓受験戦争で視野が狭くなっているのでしょうか❓塾で時間を奪われて自由な能動性をなくしたのでしょうか?

。  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿