牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月4日(火) 「人間の絆 下」 サマセット・モーム著  新潮文庫

2014-03-04 07:39:27 | 日記

 夜の時間を使って少しずつ読んでいたのだが、やっと読み終えることができた。途中、必要以上に長いのではないか、と思ってしまうことがあったが、全体としてやはり素晴らしい文学なのではないだろうか。個人的には『月と六ペンス』のほうが好きである。

 本書は著者の自伝的作品である。訳者の中野好夫氏の解説によると、モームは40歳の時に、この作品をもって彼は、自己の精神史の一時期が終わったものであるとなし、彼の中にあったある種の暗い精神的しこりを解消するために、自己解脱の一つの記念碑として書いたものであったそうだ。そして彼はこの作品を何よりも自分自身のために書いたとのこと。ひたすら自我のカタルシス(精神の浄化)のために書いたのだ。古いモームから新しいモームに発展するために。他人はともあれ、彼はどうしてもこの作品を書かなければならなかったから書いたのだ。それはちょうど彼が書いた『月と六ペンス』の主人公(モデルはゴーギャン)のようだ。どうしても描かなければならなかったから、描いたのだ。それが真の文学や芸術を生むのだろう。人のために書いています、というような文学では本当に良い作品は生まれない。

 本書は、著者の精神的自伝とも言える。モームは、絆に縛られた人間(キリスト教的な幸福を求める人間)から、悩みつつもついに、精神的に自由な人間になった、ということである。それはこの書の主人公にもいえる。主人公のいきついた結論は何か。人間は偶然に生まれたものであるから、人生には何一つ意味がないということである。だから生も無意味。死も無意味。これが彼がいきついた先である。

 神が創造され人生には意味があるという思想から、人は偶然に存在するようになったのだから人生には全く意味がないという思想に変わり、精神的に自由になった、というのが本書の主題である。すなわち、人間の絆から自由になった、ということである。育ての親で牧師であった伯父から、息子にキリストを信じる信仰をもってもらいたいと願っていた母から、自分はついに自由になったということである。しかし主人公は、人生に意味はないが、人は生まれ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んでいくという、幸福(敗北)に身をゆだねるしかないのだろうと考えるし、また死も無意味であると言いながら死の恐怖におののくのである。

 モーム自身は作家になっているが、本書では医者になっているのが、違う部分であろう。モームのキリスト教嫌いは徹底していたが、キリスト教からの分離は徹底していなかった、といえると思う。それでも彼が結論として書いているようにキリスト教を否定し、神による創造論を否定し進化論に立つならば、人生には意味がないというのは真実である。いわゆるニヒリズム(虚無主義)である。哲学者ニーチェに代表される。

 進化論に立ちながら、人生には意味がある、人生には夢がある、と主張するのは、非常に馬鹿げている。そのことをしなかったモームはやはり思考が徹底されていた、といえる。だから私は彼の苦悩に共感を覚えることができるのである。しかし、神への信仰を持つことや創造論をバカにし、進化論を支持しつつ、安易に人生は尊いとか、人生には意味があるなどと偉そうに話す人たちの思想の浅さには本当に驚きを覚えるのである。
 物事を考えるということが全くできていないのである。これが日本の思想の浅さにつながっているのは間違いない。