牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

12月5日(木) 「聖書的説教とは?④」 渡辺善太著

2013-12-05 07:45:34 | 日記

 著者は救世軍の山室軍平師の説教を引用して、平民(普通の人々)に分かりやすく語ることの大切さを説いている。

 本からの引用。「教会の宣教者は、「二語的」でなければならない。それは異なった国語を二つ語るということではなく、同じ日本語における異なった言語を語らなければならないという意味である。、、、、この「二語的」なることが、今日の教会の宣教者のものとなりえたとしても、しかしそれでその牧会が本当にできるとはいえない。むしろそこで初めて、その二語を用いて、最高文化層と最低のそれとに対して、本当の聖書教育がなさるべき「準備」が、できたというだけのことである。、、、、この聖書的説教と聖書教育において、最も大事なことの一つは、その「用語」の問題で、説教者はできるだけ注意して、この二語を織り混ぜつつ語らなければならない。」

 「誰にでも分かる言語を用いながら、しかもその内容は非常に深遠なものである場合がある。これが教会の宣教者に求められることである。いったい教会の用語というものは、「外」の人には、別の世界のそれのようにひびく。、、、、、そこでもう一度書く。教会の宣教者は、ことに聖書的説教と聖書解説とをする場合、その内容を低めず、略さず、薄めず、割り引きせず、「分かりやすい用語で」述べる練習をしなければならない。「やさしいことばで、むずかしいことを!」が、今日の教会の宣教者の標語でなければならないと私は思っている。」


 埼玉の牧会における説教は、最高文化層とまでは言わないがある程度学歴がある人々も集まっていた。しかし北海道での教会開拓においては田舎なので埼玉の時よりは学歴がない方々が集まると予想される。だからより分かりやすさが求められると思う。私の説教は分かりやすいと定評があるが、この田舎でも通用することを願うし、分かりやすく語ることを追求していきたい。