「山は白銀」で始まる唱歌「スキー」を作詞したのは時雨音羽だが、この人は利尻島の出身である。一時、稚内に住んでいたこともあり、だから、稚内市内の学校の校歌はたいてい、時雨音羽が作詞している。
そんな人が「山」という言葉を語る時、脳裏に利尻富士があったことはまず間違いない。「山はしろがね」という歌詞をブログのタイトルにしたのは、利尻の見える宗谷でずっとスキーをしよう、という決意や覚悟を込めてのこ . . . 本文を読む
昨日は朝、散髪に行き、ヘアーサロンの人たちに別れを告げた。21年も通ったのだから、なかなかのものだ。
午後からは研究室の片づけ。これが終わらない限り札幌には戻れないので、本の箱詰めをとにかく頑張る。30箱くらいかと思っていたが、100サイズの箱にしたせいか、その数では足りない。結局、43箱になった。この作業が終わった時には、夜中になっていた。
日が沈む頃は20箱目くらいだったのだけれど、 . . . 本文を読む
引っ越しの荷物を受け入れた後、ご近所に挨拶に行ったり、DOCOMOショップに移転の相談に行ったりしていたら、すっかり遅くなってしまったのだけれど(「引っ越しに伴う電話の移転はNTT東日本で」とDOCOMOは言うのだが、NTT東日本は「DOCOMOで」と言うのである)、1時間だけ娘を滑らせようと藻岩山スキー場に行った。私は滑りません……前夜に車の運転中、腿をつったので。 . . . 本文を読む
引越しである。ただ、私は研究室の片付けがまるでできていないし、妻も月末まで仕事があるし、家の掃除や粗大ゴミの処分もあるので、引越し先で荷受けをしたら、すぐ稚内に戻るのだけれど……引越し第一陣は娘と金魚だ。
引越しの前日にはナイタースキークラブの人たちが、送別会を開いてくれた。引越しの日の夕方には、小学校の玄関に同級生一同が集まり、うちの子を送り出すという儀式があっ . . . 本文を読む
引っ越しの準備をしなければならないのだが、夜は娘を音威富士スキー場に連れて行った。
このスキー場に来るのもこれが最後かもしれない。1996年に稚内に引っ越してきて、最初に滑ったのがこのゲレンデだった。車も持っていなかったので、板をかついで南稚内駅からJRに乗った。確か辞令交付前日の3月31日で、うっかり骨折でもしたら大顰蹙だと、気持ちを引き締めて滑った。昨日もセメントみたいな雪が新たに . . . 本文を読む
昨日から稚内は雪なのだが、道東の方がもっと激しく降っているようだ。北海道の大半の地域では雪が降っていないようなのだけれど。
昨日は娘を連れて、枝幸の温泉宿「ニュー幸林」に行った。20年ほど前に掘削された温泉らしいのだが、泉質が割と良いような気がした。枝幸は魚もおいしいし、温泉もあるし、良い町だ。
さて、引っ越しの準備をせねば……。 . . . 本文を読む
引っ越しの準備をせねばならぬのだが、3連休なので子供とスキーをしていたりする。
こまどりや豊富はクローズしてしまったので、音威子府。一昨日はチームメイトが来ていたので、娘はその1人の小1の子と楽しげに滑っていた。キッカーの着地に失敗して、前転したりもしていた。
昨日はチームメイトが和寒の大会に行ってしまったので私と滑るしかなかったのだが、それでは退屈するだろうと思ってR30のGS板に乗せ . . . 本文を読む
今週末に稚内を離れることになった。
東京の大学には10年間いたが、稚内の21年間ではそれ以上のことを学んだ。稚内に赴任した当時の私はまだ20代で、1920年代のロシア文学についてはそれなりの知識はあっても、自分なりのロシア観もなければ、充分なロシア語運用能力もなかった。授業の運営も手探りだった。大学制度もよく分かっていなかったし、田舎の社会のルールもまるでわかっていなかった。
私が働き始 . . . 本文を読む
金曜日は北大以外にも用事があって家族全員で札幌に出なければならず、せっかくなので翌日のドリームグランプリにも娘を出場させることにした。ナスターポイントからすればダントツでビリになるはずの組だったのだが、レースでは何とか9人中7位に納まってくれた。
天狗山は雪のない時期に山麓館やヴィラ・マウンテングに泊まることはあったが、斜面を滑るのは2000年3月以来だ。
大会の後はロープウェイ山頂 . . . 本文を読む
望月恒子先生の最終講義「チェーホフとその時代ー『嚝野』、サハリン、『谷間」を聞くために、北大に行ってきた。
チェーホフの生地タガンロークが、ロシア帝国拡張の最前線に位置していたという事実を出発点に、チェーホフのテクストが「帝国」と重ねられていく。多民族の流刑囚からなるサハリン島は帝国の縮図であるし、そこへの往復(シベリア横断や義勇艦隊の航海)は帝国の旅そのものである。ロシアの農村を描いた . . . 本文を読む
こまどりスキー場も豊富温泉スキー場もクローズしてしまったのだが、昨日は上勇知スキー場にスラロームのセットをしてもらえた。
Tバーだけの小さなスキー場だけれども、練習できるのはうれしいね。私も娘も上勇知で滑るのは初めてだ。
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一昨日の夜、スキー学校の納会があった。スキー少年団の納会も同じ時間帯に開催されていたのだけれど、スキー学校の方が先に計画されていて、しかも私の都合を聞いた上で日時を設定してくれていたので、スキー学校の納会に出席した。少年団の方は娘が1人で参加してきた。
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昨日は21年も勤めた稚内北星学園大学の卒業式だった。「感慨はありますか」と同僚の先生に聞かれたのだけれど、不思議なことにまったく . . . 本文を読む
ようやく足を運ぶ時間が取れたので、稚内の副港市場のサハリン館に行く。
17時からの回を聞いた。もともとはロシア民謡のショーだったはずなのだけれど、3分の1くらいは60年代のポップソングだった。『コーカサスの女虜』の「熊の歌」とか「恋のバカンス」とか「チュンガ・チャンガ」とか……聴衆の多くは年配の方々だったのだが、冷戦期の北洋漁業の繁栄を象徴する施設でそんな人たちが . . . 本文を読む
娘にとって2度目のテイネ女子大回転コースは、無事に完走できた。抑えすぎ、下位に沈んでしまったけれど、まずは完走できたから良しとしよう。コブ斜面だってまずは完走、攻めるのはそのあと。
それにしても、今シーズンは厳しくなるとは思っていたし、だから早朝インラインやら津別のグレステンやら、オフトレもさんざんやったのだけれど、結果にはまったく結びつかなかったな。親がなってないからだ、娘がかわいそ . . . 本文を読む