泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

私とは何か

2016-07-21 18:33:23 | 読書
 

 ちょうど一年前の昨日、リブロ池袋本店は閉店しました。
 昨夜は、池袋のある飲食店を貸し切っての懐かしむ会でした。
 当初は遠慮していましたが、誘われて私も参加してきました。
 出てみれば、あっという間の3時間。
 苦楽を共にした仲間たちと再会すると、在籍時の思い出は鮮やかに蘇り、近況報告とも合わせてよくしゃべり、よく聞き、よく笑った。
 みながそれぞれの道を歩まれていました。
 これからも7月20日は、あの本屋と仲間たちを思い出すでしょう。
 大学卒業後、アルバイトで入り、そのまま10年以上、なんだかんだありながら不思議と続いてきた道。
 あるマネージャーは番線(本屋が本を注文するときに押すはんこ)を持ち帰り、あるマネージャーは時計を持ち帰って今の店に置いていた。
 場所や立場は変わっても、大事に思う何かはつながっていた。
 その輪に私もいて、ありがたかった。
 で、『私とは何か』。
 先の『14歳の君へ』を読んでいてしきりに思い出したので再読しました。
 このブログを始める前、その書店でアルバイトしていたとき読んでいた。
 あちこちに傍線が引かれていました。
 一か所だけ、引用します。

 「この私は何であるか」の「何」は、「自分で」(自ら、そして自らの身体で)何かをする、それも「自分」への関心からではなく、むしろ自分を忘れて、その「何か」への関心から何かを「する」ことのうちで、自ずから具体的に養われできてくるものである。何かをすることに身を打ち込むことによって、自ずからできてくるものである。探せば見つかるというものではない。時間をかけた実行のみが要求される。これは必ずしも簡単なことではない。しかしこれがない限り、「自分探し」なるものも、空虚を一時忘れるための言葉の遊びのようになってしまうであろう。「自分探し」という言葉そのものが作られた言葉であり、錯覚を誘うものである、何かを一生懸命、楽しく、苦労しながら、工夫しながらするという以外に道はないであろう。 82頁7行-83頁1行

 就職も決まらず、ただカウンセリングの学校に通うことだけは決めて、大学を出た私は、まず本屋で働いてみようというところから始めた。
 卒業前から文筆で飯を、という希望は持っていましたが、大学の先生には、まずは食い扶持の確保を、と現実的忠告をされた。
 今思えば当たり前のことです。でも、当たり前のことすらわかっていない青二才でした。
 文は、氷山の一角だ、と、昨夜久々にお話しできた元上司は言いました。
 どれだけの見えない背後があるか。その重み、質感、必然性が、書く者に見えているか。感じられているのか。
 やせたねとも言われました。その元上司の元から離れたのはもう6年以上前のこと。
 当時はまだ走っておらず、この世を忍ぶ仮の姿でした。
 でも、この本は読んでいたし、今に通じる何かは持っていたはず。
 私は、私で、文学に、身を打ち込みます。
 一生懸命、楽しく、苦労しながら、工夫しながら。

 上田閑照著/岩波新書/2000
 

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2 コメント

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つながってたね。 (えったん)
2016-07-23 18:17:47
「・・・何かを一生懸命、楽しく、苦労しながら、工夫しながらするという以外に道はないであろう」
という西田幾多郎氏(だよね)を読むにつけ、

また漱石の、
「・・・自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進んで、ああ、ここにおれの進むべき道があった」
も読むと、

「私は、私で、文学に、身を打ち込みます。」

のきくたさんの文学が、一層色濃くなります。
つながっています。 (きくた)
2016-07-24 09:36:22
西田幾多郎ではなく、上田閑照ですが(同じ京都大学の人ですが)、行きつく真実は似通っているようです。

7月は、上に書いたようにお世話になった書店の閉店日があるだけでなく、鬱病を患っていたとき、最も苦しかった時期でもあり、私の原点を見直す日々です。

一番苦しい時、唯一の救いだったのが、ノートとペンです。自分を忘れることができた。書店やカウンセリングやランニングや音楽や写真やブログよりも、ノートとペンが先にありました。

ノートは原稿用紙に、ペンは万年筆に変わりましたが、その時間が、やはり自分にとってかけがえがないと、一番感じています。

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