泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

無知の知

2012-02-22 17:02:11 | エッセイ
 昨年の夏から走り始めて半年になりました。
 秋口はほんとうに走るのが気持ちよくてウェアを買い揃えるのも楽しかったりして距離もスピードも持久力もうなぎ上りだぜと感じていた。
 しかし、この冬は寒かった。寒さとともに痛みが出た。まず両ふくらはぎ、左膝裏、右膝裏、足首、太もも裏、お尻。特に膝裏の痛みは尋常ではなく、激痛であってとても走ることはできないレベルだった。気持ちはとっても走りたい、上半身も頭も元気で俺はもっと走れるんだと思っていても、足がついて来てくれない。12月からは膝痛とともにあったといっても過言ではありません。
 1月15日、初めてハーフマラソンに参加した。その時は左膝裏が痛くてサポータを装着してなんとか完走。しかしその時から右足への負担はかかっていた。右足人差し指の爪の内部はまだ赤黒くなったまま。やがて右膝裏が痛みだした。
 2月12日、2度目のハーフマラソン。右膝裏の痛みを抱えていたのでほとんど練習を積めないまま、サポータを両膝に装着してそろそろと。行きは北風が追い風となってなんだか調子いいなあ。コンクリ脇の草原部分を活用してBダッシュ。15キロまではマイペースでと思っていたのに、気づいたら飛ばしている。そんな自分を止められない。そして折り返し。味方だった風が凶暴な敵に変貌した。熱が奪われる。足が重くなる。体が冷えてきて、例のごとく膝裏が痛みだす。やばいと思って速度を落とし、のっぽさんの後ろについて風よけにしてそのままついて行けばいいのに遅いと思って抜いてしまう。なんてバカな。
 左足首に激痛が走る。それでも頭は否定するんですね。そんなはずないじゃんと思って足を進めるとまた激痛が。前につんのめりそうになった。
 残念。くじけました。止まりました。
 一度歩いてしまうと歯食いしばって痛みをこらえて走り、もうだめとあきらめて歩きの繰り返し。どんどん体は冷え、痛みは2倍にも3倍にもなっていく。
 なんとか意地で最後は走ってフィニッシュしましたが、タイムは2時間15分。前回より6分遅かった。
 ペース配分の難しさ、持久力不足、強風への無策。
 今日、9日ぶりに走ったのですが、約10キロだと思うのですが、膝が痛くない。
 なぜでしょうか?
 LSD(ロング・スロー・ディスタンス)、ゆっくりと長く走ることを初めて実践できたからです。
 なぜ膝が、その他が痛くなるのか? 負荷に耐えられないからです。
 炎症を起こしている。無理だよ~と足が言っている。
 雑誌などを読み、膝痛にはまずストレッチと筋トレが必要だと知った。
 みなさんは足まっすぐなまま両手を下におろし、床に手がつくでしょうか?
 ぼくはつきません。まったく。体が固い証拠です。
 体固いとけがしやすい。膝がとんでもなく傷んで初めて自分は体が固いんだと知った。だから自分は毎日ストレッチ、体を伸ばす必要があるのだと。
 電車待ちのときなどやってますよ。屈伸、伸脚、イチローストレッチ(両足を大きく、45度に開き、腰を落とし股関節を伸ばす。かつ両肩を交互に前に入れる)。その他まだまだ、様々なストレッチがあることを知った。
 筋トレは腹筋、背筋、腕ふり、かかとの上下、スクワットなど。これは毎日できないけど、例えばエスカレータは使わなくなった。一段飛ばしでさっさと登る。
 そしてLSDです。ほんとうにゆっくり。長く。深く息を吸い込み、的確な動きを体に染みこませる。腕は大きく引き、足はかかとからつけ、左右にぶれないように。足はあげることを意識して強く蹴らない。腕の振りを足の付け根と連動させる。テンポよく、胸張って、前を見て。じわっと垂れる汗。
 痛みはやがて起きるのですが、そこで止まってストレッチ。全体のバランスが崩れていると反省して再びゆっくり前に。痛みは拡散していた。
 焦っていたのだと知った。焦るは焦げるとも書くなと走りながら思った。鳥を煮るのだってじっくり弱火でだよな。強火で事を急いたらせっかくのご馳走が丸焦げになってしまう。焼き鳥だってそうだ。炭火でじっくりだから全体に熱が通って皮もぱりっとしておいしいのだ。そうだ小説だって、愛だって・・・。
 走りながら言葉が解体せれ新しい結びつきを見つける。走ることから料理や創作や恋愛に問題の本質がつながっていく。
 焦らないことです。どんなに速く長く走りたくったって足がついて来れないのだから。
 恐れないことです。行動して初めて経験値は上がっていく。トライ&エラー。行いに間違いはつきもの。間違いが成功の素。だから恐れずにまたやる。ただし反省を生かして。恐れる必要はない。
 痛みから必要なことを知り、一つずつ実践していく。痛みの具体を解きほぐしていく。この繰り返しで確かに痛みを減らして走り、かつ満足を得ることができた。
 プラン・ドゥ・シー。考え、実践し、反省することの循環。この繰り返しで質が上がる。この事実も走り続けることで体得することができた。
 走ることを通じてぼくはぼくをより知るようになった。
 自分が自分を知ること。このことより自信と勇気を深める術を知りません。
 ぼくは本当にバカです。無知です。
 だからこそ学び続けなくてはならない。
 無知の知。ソクラテスの言葉。ぼくが哲学科に入った意味。
 一つずつ、確実に知り、忘れないようにこうして書く。みなに伝える。
 それでいい。それがぼくなのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« しめはカルーーアミルク | トップ | 仏の座 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事