サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

『24時間テレビ』と『バリバラ』 感動ポルノって?

2016年08月30日 | 障害一般

 “24時間テレビ ろう学校”で検索しこのブログにたどり着いた方が、1週間ほど前からかなりいました。3年前の24時間テレビで『ろう学校の生徒たちによるタップダンス』が行われ、そのことに関する書き込みが検索にヒットしたようです。
 24時間TV ろう学校の生徒たちのタップダンス

そこにも書いたように普段は『24時間テレビ』を視聴することはありません(たまたまテレビをつけて少しだけ観ることはあります)が、今年は『ろう学校生徒の踊り』があると知りその部分だけは録画して翌日に観ました。

 その時間帯の前には、サッカー日本代表の本田選手とアンプティサッカーの少年が出会いを果たすという企画もありました。
妻が気を利かせて録画しておいてくれたのですが、少年が本田選手を(本田選手の物まねで有名な)じゅんいちダビットソンと間違うというエピソ−ドもありました。
 リアルと言えばリアル? 『24時間テレビ』が狙った『感動』とは違ったものになったのでしょうか?
本田選手は松葉杖をつきながら少年とボールを蹴り合ったりするのかなと思いきや、本物とわかってもらう説明に終始。ボール蹴ればすぐわかりそうなものですが。
 また全体としてアンプティサッカーの印象度は薄かったような気もします。
 
 ちなみに以下の映像(障がい者サッカー連盟の各種サッカーの紹介映像)にもアンプティサッカー及び少年(ケンちゃん!)の映像もあります。よかったらご覧になってください。私が作りました。

サッカーなら、どんな障害も超えられる。 -障がい者サッカーの魅力


 今回のろう学校生徒のダンスは盲学校生徒達などとの合同よさこい踊り。ろう学校生徒によるダンスは既に過去放送しているし、盲学校との合わせ技でより感動を得ようという企画意図だったのでしょうか?
 障害理解という意味では拡散したような印象もありますが、 そもそも『24時間テレビ』は障害理解の一助となるような番組ではないように思いますし、そんなこと言ってもしょうがないのかなという気もします。
 24時間テレビは巨大なチャリティ番組(出演者のギャランティの問題で物議を醸し出すこともたびたびありましたが)で、募金の為には視聴者の心の琴線に触れる為には手段を選ばず(というか定番で押しまくる)ということでしょうか?
「文句あるなら観なきゃいいじゃん」と言われているような気がして、まったくその通りで、だから普段は観ないんですが。

 一つの障害のなかにも様々なパターンがありますし、別の障害を組みわせるととてもわかりにくくなったりします。もちろん異なる障害が出会うことにより見えてくるものの少なからずはあると思います。
 フィーチャーされていたろう学校の生徒は、口話が達者な女の子。手話単語もつけて発言していました。勝手に想像すれば残存聴力と補聴器活用、並びに母親の協力な指導(援護?サポ−ト?)もあり口話を習得。手話をいつ覚えたのかまではわかりません。
ちなみに彼女の発言は、広義の意味では手話という言い方も出来ますが、狭義(言語学的にみたりすると)の意味では日本語で手話ではありません。


 出演された方々に対して何かしら批判的な思いがあるということでは全くありませんので誤解なきよう。 


 今年は、裏番組の『バリバラ』(NHKのEテレ)で『24時間テレビ』を意識した内容が話題になっているようです。
自身も障害者であったステラ・ヤングさんの言葉を借りて、『24時間テレビ』を暗に『感動ポルノ』と批判したということですね。

 ステラ・ヤングさんは既に亡くなられたかたですが、彼女が発言した『感動ポルノ』のことはかなり前から話題になっていましたので関心がある方はご存知かと思いますが、インターネットでも講演録を読むことができます。
障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
以下、少しだけ引用します。 

「私はそれらを『感動ものポルノ』と呼んでいます。(会場笑)『ポルノ』という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです』

  24時間テレビに則して言えば、『感動』のために障害者をモノ扱いして 消費しているということですね。ただそれを望んでいるのは『お茶の間の視聴者』であり、『24時間テレビ』側はそれに応えているだけだという言い方もあるでしょう。しかし『お茶の間』の意識も少しずつですが変わって来ているようにも思います。

 また『バリバラ』は『24時間テレビ』に対抗していきなりそんなことを言い出したわけではなく、番組のコンセプト自体が『感動ポルノ』から脱却するというか、障害者目線の番組作りを一環して続けてきています。私自身は番組開始からしばらくは毎週欠かさず視聴していましたが、その後は面白い時と面白くない時の差が激しく、現在は観たり観なかったりです。『バリバラ』では「笑いは地球を救う」というお揃いのTシャツを着ていましたが、『障害者目線』『笑い』のコンセプトだと、外しちゃうこともあるわけです。障害者に向かって「つまんねー」と言えるような視点も重要で、もちろんそれもありなんですが、つまんない時はつまんないというか…。


 確信犯で『感動ポルノ』であろうとする番組、ドラマ、映画は年々減ってきているように感じます。ただそこから脱しようとしても脱しきれない作品は多々あるかと思います。
 自分自身も『感動ポルノ』に堕すことのないように作品を作っているつもりですが、そういった要素を全て排除できているわけではありません。
 

 最後に『感動ポルノ』とは全く意味合いが異なりますが、感動するポルノ映画もあるという話。
 一般的なポルノは、性 の対象として女性をモノ扱いし消費の対象とする、ステラ・ヤングさんもそういった意味合いでポルノという言葉を使われています。
 しかし中には、感動するポルノ映画もあります。
 過去日本には、日活(後期はにっかつ)ロマンポルノという映画群がありました。当然テーマは『性』ということになりますが、そのなかには、『性』の対象としての女性を『モノ』ではなく『人間』として描ききった、傑作とでも呼ぶべき作品もありました。神代辰巳、田中登、曽根中生、池田敏春などの監督の諸作品等々。


 話は脱線しましたが、障害、あるいはポルノと言っても様々です。 AではなくB、Aが正義でBは悪といったような単純なことではないと思います。
一面的な見方では、全く見えないもの、見落としてしまうものがあるような気がします。
 


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