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映画レポート 「ソナ、もう一人の私」

2010-03-11 00:33:27 | ノーシネマ、ノーライフ!
2006年、ベルリン映画祭のフォーラム部門に『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』という映画が招待されたらしいのだけど、その梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督が撮ったドキュメンタリー第2弾。
前作『ディア・ピョンヤン』にも登場する監督の姪っこ、ソナの成長を追った作品。

前週にベルリン映画祭を訪れていたうちのアルバイトの男の子が、とても良かったと薦めてくれたので観に行くことにした。

上映後には、映画祭ならではの監督ご本人による説明や質問タイムがあり色々と話を聞くことができたので、それをからめながらここに書こうと思います。



ヤン・ヨンヒ監督は日本で生まれ、朝鮮学校で“変わった教科書”による教育を受け(注:映画後の本人談による表現!!)一方、学校の外では日本の文化に親しみ、「両者を自由に行き来して」育ったという。
監督は3人兄妹。2人のお兄さん達は日本で生まれたのち『地上の楽園』と宣伝された北朝鮮へ渡った。
映画の主人公ソナは、その次男のお兄さんの娘で、ピョンヤン生まれピョンヤン育ちである。


ヨンヒ監督のお父さんは元・朝鮮総連の幹部の方だそうで、その事はおそらくこの映画を作るうえで非常に大きな力を持っていたのだろう、それほど多くのピョンヤンの鮮やかな映像に驚かされる。
こんなところにもカメラが入れるんだ!とびっくりするところばかり。
(もちろん日本なら何の問題もないのだろうけど、)
時には歌劇場、時には小学校、お母さんのお墓、それにソナのおうち。

ソナのおうちは、日本のものであふれている。
ソナのおばあちゃん(監督のお母さん)が日本から絶えず物資を送り続けているからだ。
(この救援物資も、おそらくお父さんの立場による優遇措置があるのだろう)


監督の話によると、そういう面でソナも「日本と朝鮮のどちらにも囲まれて生活している」。
自分が2つの文化を自由に行き来して育ったのと同じように。

それから、幼くしてお兄さん達と離れ離れになってしまった監督は、小さなソナがお父さん(=監督のお兄さん)と手をつないでいるのを見ると、自分がお兄さんに手を引いてもらっていた昔を思い出し、ついソナと自分が重なって見えるのだという。

そういうわけで、「ソナ、もう一人の私」というタイトルが付いたのだと。


・・・ううむむ。


たしかにソナは、「日本の“モノ”に囲まれて」いる。
でも彼女自身、彼女の“心”はどうだろう?
監督のように「二国を自由に行き来」できるだろうか?むしろそういう発想すら持ったことがないのでは??


ニューヨークにいるヨンヒ監督の英語の先生は、彼女がベルリン入りする直前に
「そのタイトル(英題:「Sona, the other myself」)は良くないね」
と言って笑ったそうだけど、私も先生に賛成~~。
(まあその先生は、英題について単純に「英語として適当な表現ではない」という意味合いで言ったのかもしれないが)私はこのタイトルの説明を通じて、人間の心ってどれだけ生まれ育った文化や教育に因るところが大きいんだろう、ということをじっと考えていた。
北朝鮮の生活、北朝鮮の教育のなかで生まれ育つということ。私は正しい知識はそれほど持っていないのかもしれないけど、この映画を観る限りで感じるとするならば、いくら日本の“モノ”に囲まれていようともその文化を行き来できるような心の「余裕」みたいなものは一切ないような気がした。
ソナの心はきっと、ピョンヤンから出ることをまだ知らない。


それでも、それぞれの国の文化や思想の違いの中で深まる、家族の絆。

ここからはラストのネタばれ必至で書くんだけど・・・
監督は、前作の発表が問題となり北朝鮮当局から入国禁止の措置をとられてしまったそうで、2006年以降のピョンヤンでの映像は今作では流れない。
その間に彼女の一番上のお兄さんは、長年患った重度のうつ病で亡くなってしまった。
彼女はお葬式の参加はおろか、今でもお墓に手を合わせることが出来ない。

私がこの映画を観た次の日に会った友達は、
「家族に会えなくなってでも発表したい映画だったのかなあ・・・」とポツリと言った。

ううんん・・・・
なんと難しいテーマ。


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