玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

連絡船時代3

2011年02月21日 08時42分04秒 | 日記
宇野~高松間の輸送量も増加傾向にあり、連絡船も大型化が必要になった。昭和41年~42年にかけて伊予丸、土佐丸、阿波丸、そして49年には讃岐丸と3,000トン級の連絡船が相次いで就航した。

 

 1961(昭和36)年には車社会に突入し岡山~宇野間の国道30号線が国道フェリー就航により高松まで30号線がつながった。

                

 四国フェリーも宇高航路に就航24時間眠らない港として繁栄
        
                         
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