森かずとしのワイワイ談話室

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ローザ・ルクセンブルク財団との意見交換 その2

2012-03-18 11:40:22 | 議員活動
 今日は日曜、午後の歴史古道シンポジュウムまでの間隙を縫って、ドイツ視察報告その10「ローザ・ルクセンブルク財団との意見交換」その2を掲載したい。

 2月17日、財団との意見交換午後の部は、ドイツ戦争責任と歴史認識、戦後補償についてがテーマだ。財団側の報告者は、Lutz Brangshh(ルッツ・ブランシュ)さんとヨロン・シュッツルンフ博士の二人だ。シュッツルンフさんは、マルクス・エンゲルス全集の出版をはじめ歴史書籍の出版に携わってきた人だ。

【歴史問題への対処について】
 80年前のある作家は、日本は遠い国だと書いた。日本の国内問題はよく知られていない。日露戦争からに中戦争、そして第二次世界大戦、敗戦、戦後の非武装化に到る歴史的経過・・沈黙の時代が長くあったのだろうか。南ベトナムを訪問したとき、ベトナム人はベトナム戦争に沈黙を保っていた。おそらくは同種の沈黙であろう。
 戦前ドイツは多数派は被害を与え、少数派は大きな犠牲を強いられた。例えれば12時5分前まではヒトラーと一体にあったのだ。西ドイツにおけるナチス時代からの意識の変化、対決は、1968年以降に初めて話題になった。実際に2009年までナチ協力者が」ドイツ社会の最高位に留まっていた。
 被害者への補償については、1953年にイスラエルとの補償協定を結んだが、個人に対する補償ではなかった。1968年に人々の運動によって、変化が起こり始めた。1979年に西ドイツにおいて内容は十分ではなかったがアメリカ制の映画「ホロコースト」四部作が上映され、この問題が世間に知られるようになった。既に東側にはより真剣な映画が存在していたが・・。
 とはいえ、ドイツの国民感情は少し繊細になっていたところに、この映画によってホロコーストに対する市民の問題意識が呼び覚まされていく。しかし、特に、ユダヤ人以外、東欧、ポーランド、またウクライナ、ベラルーシといったスラブ人の大量殺人については意識に上ってはいなかった。旧ソビエトでは、2000戸を破壊したことなど研究者は知っていたが。
 そうは言っても、この15年間で、ハンガリーにおける強制労働が話題になっている。東ヨーロッパでは150万人が強制労働の被害にあった。ロシア人の犠牲者は多いが、オランダなどゲルマン人の被害者は少ない。250万人が死んだが、当時のすべてのドイツ人は、それを見てきたのだ。1985年まではそれに触れないできただけだった。1985年に、『東欧諸国における強制労働』が出版されたからだ。
 これらを通じ、補償の必要性が気づかれていった。

【記憶・責任・未来基金の評価について】
 1954年には、「生物学的処理」が必要だとの発言があったが、1998年社民党と緑の党が連立政権を組んで、強制労働によりもうけたドイツ産業界にもお金を出させる制度を成立させた。ただ、これには東欧の帰還者を対象外にしているとの批判がポーランドから出されたり、バルチック半島の人々への問題はソ連の支配下により押さえられていたなど、不十分な制度と言わざるを得ない。
 ナtリスの戦争に非協力を貫いた少数派の人々は、今も、裏切り者と目されいる。「戦争の裏切り者」と。当時は3万人もが死刑判決を受け、半数が殺されているのだ。2009年9月になってようやく脱走兵の名誉回復が図られた。生存者はたったの一人になっていた!

【ドイツ社会での歴史認識をめぐるたたかい】
 この問題では、ドイツ社会では三つの層がある。専門家・学術者、進歩的な人々、そして政治関係者だ。最も遅れているのは政治関係者に他ならない。過去を清算することは、政治的な闘争といえる。それが行われれば、現代の問題も解決できるだろう。それは自己正当化とのたたかいだ。

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