調べても調べても‘わからない’ことってたくさんあります。ここのところ毎日「鰐口の銘文」について追いかけています。人吉球磨に現存する鰐口が他所から持ち込まれたもので、その因は‘戦利品’として・・・というのを今度の鰐口展で云いたいのです。その原稿を準備しています。そのことを調べているのですがわからないことばかりなのです。
瑞光寺阿弥陀堂に鰐口があります。「奉寄進清源山瑞光寺阿弥陀如来・・・」とあります。書かれてある文言と現在地が一致しています。寄進されたときから全く動いていないのです。天文12年(1543年)ですので500年近く同じ場所に掛けてあった鰐口です。じつはこのような鰐口の方が珍しいのです。
「薩州阿久根院底廣廣大禅寺」と書かれたものがあります。鹿児島県阿久根地方のようです。しかし(底廣廣大禅寺)というお寺は今はありません。阿久根のお寺に寄進されたものが現在は人吉球磨のお堂に掛けられているのです。「奉施入善応寺・・・」というのもありまう。善応寺だけでは、どこなのか皆目見当もつきません。人吉球磨にも善応寺の記録がありません。どうして、どのような経路で、人吉球磨のお堂にあるのかが不思議なのです。
寄進した人の名前も難しいです。今日、人吉の図書館まで調べに行きました。(犬童七兵衛)という名前は一致(時代も)しましたが他の文書に出てきた七兵衛さんと鰐口に書かれてある七兵衛さんが同一人物化は断定できません。(犬童)姓なので、人吉球磨の人には間違いないと思うのですが。
調べても調べても答えは出ないのです。この2,3日堂々巡りをしています。
今日までは天気はよかったです、予報によるとどうやら明日から崩れそうです、そろそろ梅雨入りかな!です。
今日の天気(→)
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