ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

ストーリーの細分化

2010年12月05日 20時55分12秒 | よみもの
たいへん月並みな趣味ではあるが、村上春樹は好きな作家のひとりである。
特に、世界を新しい枠組み(ストーリー)にもとづいて再構成する取り組みに純粋に興奮させられる。

特に、最近は「自分が属すことができ、他人と共有できるストーリー」が失われている(というより限りなく細分化・個人化している)と思うし、そうしたコミュニティでシェアできる健全なストーリーを取り戻そうとするのは、人間としてとても自然なことなのだと思う。それが悪い帰結をもたらすこともあるわけだが。

そのようなことをふと日曜の夜に考えたきっかけは、ネットのニュースの最近のあり方である。
ネットでどんな情報もシェアできるいまのような世の中にはたくさん情報があるようでいて、どこかの個人が勝手に表明した感想や編集方針が、あたかも真実であるかのように大手ポータルサイトに以前よりも頻繁に掲載されるようになった。それは時には商業的な目的、時にはイデオロギー的な目的で発信されている。

個人が情報を発信できるのは大いに結構であるが、ごく限られた情報に基づいて、スポーツ新聞的な情緒的なとらえ方が、あたかも社会全体で共有すべき情報として蔓延する状況には辟易とさせられる。だって、僕のブログの記事がyahooのニュースに掲載されたりしたら「何じゃこりゃ」とみなさんなら思うでしょう?それと五十歩百歩だということだ。

少し前まで、Generation Y(最近の若者)が、ネットの世界に埋没しながら自分の居場所をごく身の回りの家族や「仲間」にのみ求めていることに対して、Sanitizeされた心地よい自分のComfort zoneから出られない人たちとしか思っていなかったが、最近になって理解できる気もする。世の中で共有できる理解や幻想(大きなストーリー)が失われている中で、自分自身がありありと信じられる手近な人間関係という小さな確実な世界(小さなストーリー)をつかもうとしているだけなのだろう。

それはそれでいいのかもしれない。だけど、細かく切り刻まれて、あちらこちらで飛び地状態になった世界から、相互排他の精神ではなく、オープンな相互理解が生まれてくることを心から願うばかりだ。


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
村上 春樹
文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする