パソコンもインターネットも一切やらないというソフトウエア会社の社長さんにお会いしました。70歳を超えたと思われるのに元気一杯です。ITを一切やらなくてもソフトウエア会社の社長は勤まるのかと一瞬心配になりましたが、この社長さんは、もう30年以上も会社経営をしており、ますます業績はあがっているようです。
パソコンもインターネットもやらないかわりに、人付き合いはお好きなようで、気をそらせない巧みな会話で、思わず引き込まれてしまいます。人との出合いでこれまで商売を広げてきたのだと言っておられました。
この社長さんと出あったのは、ベンチャー企業の集まりだったのですが、出席者がテクノロジーの話しで盛り上がっているところに、この社長さんが突然現れて自分はITにはまったく興味がないと言ったので、皆どう反応したらよいのか迷っていました。
インターネット、デジカメ、携帯電話、PDAと次々と出現する新しい技術により、私たちの仕事と生活はめまぐるしく変化しています。誰もが新しいテクノロジーをどう使いこなすかに苦心している一方、次々とでてくる機器やサービスに追い付いていくことに戸惑っているように思えます。こうした時に、デジタルは一切興味がないと言いながら、ソフトウエアの会社を成功裡に経営しておられる社長にお会いして、改めて「失いつつあるもの」について考えさせられました。
デジタル技術の発達により私たちの生活は便利になってきているし、ビジネスの効率化も図られています。しかし、その一方で、効率化されたはずなのに、ますます忙しくなってきていると感じている人も多いのではないでしょうか。
デジタル技術を駆使することにより、確かに仕事は効率的にできるようになり、時間の余裕がでるはずなのですが、効率化により浮いた時間に別の仕事を入れてしまうので、結局忙しさは変わらないということなのかもしれません。
いつでもどこでも人と連絡が取れる、しかもグローバルにそうしたことができるということは、素晴らしいことのように思えますが、何をしていても邪魔が入るという状況に身を置かざるをえなくなったという側面もあります。会議をしていても、人と話しているときでも、携帯電話で呼びだされるので、「そこにいて、そこにいない」という「時間と空間のあいまいさ」を経験しています。
電車の中でも、人々は絶えず携帯電話やPDAの小さなスクリーンに釘付けになっています。メールをやったり、ゲームをしたり、情報を調べたり、文書を作ったりしています。デジタル機器やサービスは、暇つぶしの格好の道具になっているようにもみえます。
しかし、そのために、まわりの人々を観察したり、窓の外の景色を見たり、ぼんやりと考えたりする時間が確実に失われています。じっくりと考えるという習慣も間もなく過去のものになるのかも知れません。
デジタルは今私たちの生活の隅々まで侵食しつつあります。テレビが家族の団欒を奪ったのと同じように、デジタル技術は、なにかに集中する時間や、ぼんやりする時間を奪いつつあります。常につながっていられる環境を手に入れた私たちは、ネットとの「オン」と「オフ」とをどう使い分けて行くかのノウハウを身につけていかなれればならないのだと思います。
ITとは一線を隔しながら、ソフトウエアの会社を経営している社長さんのライフスタイルは、そうしたことへの問題提起なのだと思いました。
(2003年9月9日)
パソコンもインターネットもやらないかわりに、人付き合いはお好きなようで、気をそらせない巧みな会話で、思わず引き込まれてしまいます。人との出合いでこれまで商売を広げてきたのだと言っておられました。
この社長さんと出あったのは、ベンチャー企業の集まりだったのですが、出席者がテクノロジーの話しで盛り上がっているところに、この社長さんが突然現れて自分はITにはまったく興味がないと言ったので、皆どう反応したらよいのか迷っていました。
インターネット、デジカメ、携帯電話、PDAと次々と出現する新しい技術により、私たちの仕事と生活はめまぐるしく変化しています。誰もが新しいテクノロジーをどう使いこなすかに苦心している一方、次々とでてくる機器やサービスに追い付いていくことに戸惑っているように思えます。こうした時に、デジタルは一切興味がないと言いながら、ソフトウエアの会社を成功裡に経営しておられる社長にお会いして、改めて「失いつつあるもの」について考えさせられました。
デジタル技術の発達により私たちの生活は便利になってきているし、ビジネスの効率化も図られています。しかし、その一方で、効率化されたはずなのに、ますます忙しくなってきていると感じている人も多いのではないでしょうか。
デジタル技術を駆使することにより、確かに仕事は効率的にできるようになり、時間の余裕がでるはずなのですが、効率化により浮いた時間に別の仕事を入れてしまうので、結局忙しさは変わらないということなのかもしれません。
いつでもどこでも人と連絡が取れる、しかもグローバルにそうしたことができるということは、素晴らしいことのように思えますが、何をしていても邪魔が入るという状況に身を置かざるをえなくなったという側面もあります。会議をしていても、人と話しているときでも、携帯電話で呼びだされるので、「そこにいて、そこにいない」という「時間と空間のあいまいさ」を経験しています。
電車の中でも、人々は絶えず携帯電話やPDAの小さなスクリーンに釘付けになっています。メールをやったり、ゲームをしたり、情報を調べたり、文書を作ったりしています。デジタル機器やサービスは、暇つぶしの格好の道具になっているようにもみえます。
しかし、そのために、まわりの人々を観察したり、窓の外の景色を見たり、ぼんやりと考えたりする時間が確実に失われています。じっくりと考えるという習慣も間もなく過去のものになるのかも知れません。
デジタルは今私たちの生活の隅々まで侵食しつつあります。テレビが家族の団欒を奪ったのと同じように、デジタル技術は、なにかに集中する時間や、ぼんやりする時間を奪いつつあります。常につながっていられる環境を手に入れた私たちは、ネットとの「オン」と「オフ」とをどう使い分けて行くかのノウハウを身につけていかなれればならないのだと思います。
ITとは一線を隔しながら、ソフトウエアの会社を経営している社長さんのライフスタイルは、そうしたことへの問題提起なのだと思いました。
(2003年9月9日)