中年親父的「奥の細道」

日本大好き!旅行大好き!な中年親父の旅行記。
おすすめグルメや温泉スポットを紹介します。今は週末農業で大忙しです。

イタリア・トスカナの旅 11日目

2015-06-15 05:53:31 | Weblog

平成27年5月25日 モデナの観光は昨日既に大まかには終えてある。今日は更に北上してミラノの近くのピアチェンツァまで戻り、ここに宿泊する。若干時間に余裕がある。実は気になる町がある。モデナとパルマの間にあるReggio Emiliaという町。ここなら荷物をモデナのホテルに預けたまま午前中に往復出来そうである。駅まで歩いて10分、電車でレッジョ・エミリアまで15分。

レッジョ・エミリア駅を降りて、ここだろうと目星をつけて歩き出す。途中のバールでエスプレッソを飲みながら道を尋ねた。隣にいたおじさんに教えて貰う。こんな時は片言のイタリア語でも役に立つ。天気が良くて暑い。10分程歩いて、途中で道を尋ねると”デッレット(まっすぐ)”でシニストラ”(左)と教えられる。ようやく 広場らしき所に到着。たむろしている親爺に尋ねると、ここが”バッティスチ広場”で目の前がドゥオーモ、隣が市庁舎だと。

ここは”パルミジャーノ・レッジャーノ”チーズの産地、町を横切るエミリア街道はローマ帝国の幹線道路であったと。ここはイタリア3色旗が生まれた町。フランス革命の波がイタリアに押し寄せてきた1797年時にモデナ、ボローニャ、フェッラーラの代表がこの市庁舎で会合を開きチスバダーナ共和国の建国を宣言し、この3色旗と定めた。ここは後にミラノを首都とするチザルピーナ共和国に吸収されるが、この国旗がイタリアの国旗に決まったと。

 

日本との関わりは1876年に明治政府の要請を受けて風景画家フォンタネージが来日し、工部美術学校の教員となった。二年半の滞在中に浅井忠や山下りんを育てたとのこと。山下りんの生家はクラインガルテンのある笠間市にある。このフォンタネージはレッジョ・エミリア出身である。 

堂々とした構えの市立劇場の前の広場には沢山の親爺がたむろしている。イタリアでよく見る光景である。

 

 

 

レッジョ・エミリア駅まで戻り電車でモデナに昼前に戻る。モデナの中心の観光地を再度見て、昼食にパニーニを食べてホテルに戻る。ホテルで荷物をピックアップしてタクシーで駅まで。そしてピアチェンツァまで電車で約1時間で到着。

ピアチェンツエは北イタリア最古のローマ帝国植民都市。ファルネーゼ家が治める公国となり、後にパルマへの遷都が決まる。中心のカヴァッリ広場には旧市庁舎、ファルネーゼ騎馬像、そしてサンタントニオ聖堂がある。

 

賑やかな路地を少し行くとドウオーモがある。残念ながら工事中。この日も暑くジェラートを。隣ではイタリア人の男の子3人がお母さんに連れられジェラートを食べている。少し歩くと女の子たちが両親に写真を撮られている。小さい子供たちは可愛い。28,607歩

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏野菜もいよいよ | トップ | イタリア・トスカナの旅 12日目 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事