風がめくった 一枚のページ

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懺 悔 (ざんげ)

2008年06月16日 13時11分24秒 | Weblog


寒い初夏に逆戻りの数日です。それでも現在時点での農作物の生育状況は順調で今後の気温上昇に期待するところです。

最近埼玉在住の弟と亡き母の写真についての会話が出てきた。
複雑な家庭環境で、母がお星様になってから、母の嫁ぎ先とはすっかり疎遠になっているし
母の写真も、男三兄弟がそれぞればらばらに持っているのですが、
長い年月は厳しいです。写真は黄ばみ汚れ、ひび割れて無残な状態になってきている。
この際、趣味のPCで培った写真の技術を駆使して、古い写真を修復して永久保存版にしようと話ががまとまり
弟から、古い写真を送ってももらい、早速修復作業のとりかかった。

この写真は母が弟を連れて後妻としてと嫁いだ時の記念写真と思われます。
嫁ぎ先の夫も横に写っていたのですが、それはカットして修復してみました。
置いてけぼりを食らった私は小学三年生。毎日泣かぬ日が無かった悲しい日々を思い出しました。
母は何歳ころかな?36歳の頃かな...なかなかの美人でしょう 

一人ひとりの様々な人生、母の人生と、自分の人生を心が揺すぶられるほど思い返した数日でした。
写真を修復し保存し、印刷するまで、何枚かの母と何時間向き合っていたのでしょう
想い出が津波のように押し寄せてきます。これも聴きたかった、あれも話したかった。
叶わぬことであっても、そういう思いが胸をかきむしるのです。

私が18歳の時、脳溢血で倒れ、以後半身不随で7~8年寝たっきりで逝ってしまいました。
その頃母の所に何度足を運んだのでしょうか...何時間母と会話が出来たのでしょうか。
私の生活の一部さえ母に見せる事すら出来ませんでしたし、何もしてあげれませんでした。
寝たっきりで何の希望も無い母が、「かみそりの刃を一枚欲しい!楽になりたいっ」と私に言った悲痛な叫び
「母さん死んじゃったらもう逢えないじゃないかっ」そう云うのが精一杯でした。

想い出も押し寄せてきますが、それよりも後悔の念の津波の大きさに、ただただ打ちのめされています。
歳と共に緩くなった涙腺や増幅される悲しみの感情に涙の洪水が押し寄せてきました。

母と過ごした現世の年数...25年。母がお星様になってから39年....
母が現存しない年数の方が遙かに多くなってしまいました。
母に恋焦がれて、母が死ぬ時には自分も絶対一緒に死のうと決心していたのに
私は未だ、おめおめと生きています。