私たちが生きているこの世界は、エネルギーの循環によって成り立っています。
水が蒸発して雲になって雨を降らせ 再び地上に戻ってくるように、生物の命が終ると朽ちて土に返り 新たな生命の養分となるように、与えられたものが形を変えて巡り続けることで、私たちは生きてゆけるのです。
この循環システムから大きく逸脱してしまったのが、現行のお金のシステム。
地球の大きさも 与えられる自然の恵みの量も変わりはないのに、お金の世界だけがつねに拡大成長を要求される、そんな不自然が続くわけがありません。
お金もまたエネルギーのひとつですが、もうこれ以上このまま進むわけには・・・という限界点にそろそろさしかかっているのではないでしょうか。
富の偏りが引き起こしてきたさまざまな問題をきっかけに、お金のシステムそのものが崩壊するのも時間の問題のような氣がします。
実のところ、貴秋はお金のシステムが壊れること自体は さして心配していません。
いのちの流れに逆らうものが消えてゆくのは自然の理、むしろ壊れてくれたほうがいいとさえいえるでしょう。
問題はその壊れ方です。
こんな話を聞いたことがあります。
お金のシステムが崩壊すれば、支配者階級は誰よりも困るのみならず、その維持のためにこれまで自分たちがしてきた後ろ暗い行為が明るみに出る可能性が大きくなる、そこでそれを防ぐため戦争を起こし 混乱のうちにすべてをうやむやにした上で、 復興と称して再び自分たちが頂点に立つ仕組みを打ち立てる、と。
当時は小説か映画の筋を聞いているような心持ちでしたが、いまの世界情勢にこの話を当てはめて考えると 「これはほんとうにそうなるかもしれないな」 という氣持ちにもなってきます。
貴秋の両親はいまの中学生ぐらいの年頃に太平洋戦争を経験しており、特に東京の下町で生まれ育った母は 女学校の生徒として勤労奉仕に駆り出され、姉妹と母親が疎開したあと 父親と兄と三人の暮らしを主婦として切り盛りし、厳しい統制や物のない苦労をさんざん味わったあげく 空襲の中を逃げ惑い家を焼かれるという体験をしています。
そんな母が口癖のように言っていたのが、「結局戦争で一番ひどい目に遭うのは庶民だ」 ということ。
実際古来から戦争を始めるのは権力者なのに 犠牲になるのはいつも一般市民だとは、戦争体験者が少なくなったいまの日本でも なんとなく皆感じていることでしょう。
以前にも書きましたが、スポーツ界はもとよりノーベル賞や音楽コンクールのように個人が勝ち取った栄誉でも 「わが国の誰それが。。。」 とすぐ国別対抗の意識が出てくるのは、いまの世界中の問題のほとんどが権力者対庶民という構図から起きている事実から目をそらすために なにかにつけて国対国の図式を持ち出し私たちに刷り込み続けてきたからだと貴秋は思っています。
国どうしの争いで命を落とすのはどのみち庶民なのだから、庶民を欺いて冨を独占してきた真相に氣づかれそうになったら戦争を起こし、庶民どうしを争わせて力を削ぎ、いったんすべてをご破算にした上で 改めて自分たちに有利な仕組みを作り直せばいい。
これまでの歴史は、そんなことの繰り返しだったのでしょうか。
また いまの私たちの意識のままでお金のシステムの崩壊が起これば、戦争でなくとも命にかかわるような騒動は避けられないでしょう。
私たちはあまりにもがっちりと生命を維持するのにお金が必要という思い込みに囚われてしまっているので、システムが壊れたならお金抜きでこれまでどおりに物資を動かし皆が生きられるようにすればいいとすっと発想を切り替えるのはかなり難しいはず。
お金を使えなければ命が危ないと思い込んでパニックになったり暴動を引き起こしたりする人がきっと出てくるでしょう。
どのみち崩壊が避けられないシステムをソフトランディングで解体するか、社会全体がボロボロに壊れてゆくのを手をこまねいて眺めるか、どちらを現実とするかは、私たちがいまどれだけ洗脳から目覚めることができるかにかかっています。
ピンチはチャンス、本来の自分に戻る流れに追い風が吹くいまは、同じ過ちの繰り返しから抜け出す絶好の機会でもあります。
チャンスをうまく掴めるかどうかは、私たちひとりひとりが催眠に氣づいて目覚めようとするかどうかにかかっています。
目くらましにごまかされず真実を見抜く意識を取り戻せば、いまからでもできることがたくさんあるときっと氣づくことでしょう。