<かぜのこの移転の歴史>
「練馬で54年間保育を続けてきた風の子保育園!」
「東京都一歴史のある保育室!」
という話をすると、多くの方は現園舎のあるこの場所で
ずっと続けてきたと思うようです。
・・・でも、違うんですね。
過去54年間、本当に大変な思いをして保育場所を探し
家賃の交渉をし、それでも駄目で引っ越しを繰り返して・・・
そんな風にしてようやく今があるんですね。
そういったことが模造紙一枚にまとめられて
こどもまつりの際に展示された「かぜのこの移転の歴史」を
今回は紹介させていただきたく思います。
~風の子保育園の54年の移転の歴史を模造紙一枚に!!~
過去風の子保育園のあった7箇所の写真とそれぞれの説明がありました。
~ ①昭和32年、都営住宅の一室で風の子保育園は生まれました。 ~
風の子保育園の原点はここ!!
共同保育所『青木保育園』というのが当時の名称だったのですね。
写真の背後にある、大きなラジオ。時代を感じます。
昭和32年当時、東京タワー着工。コカコーラ販売開始などがありました。
~ ②昭和35年以降 下出先生のご自宅内の『風の子保育研究保育園』 ~
この時代の風の子のこどもたちを題材にして書かれた本があの、「集団育児」です。
今回の記事の後でご紹介する、「タイムカプセル」の写真もこの時代のものです♪
昭和42年には、産休明けから就学前まで対象の保育、学童保育も行っていました。
産休明け保育は公立の実施の20年も前から開始しました。
~ ③昭和49年 中村橋の12畳のアパートに引っ越し『風の子共同保育園』に改名 ~
ガス、水道を引き、父母の日曜大工で台所を作ったそう。
そんなのも、なんだかすごい。
そして、保育士と保護者の両方で作り運営する”共同保育園”そのものですね!
~ ④昭和49年 貫井3丁目「かしわ荘」 ~
冬休み中にあわただしく移転し、
正月明けから「かしわ荘」での保育が開始されたそう。
「寝る部屋と遊ぶ部屋が別で感動」 との記述が風の子文集にもあり。
~ ⑤昭和62年から 貫井2丁目に引っ越し ~
この時から延長保育開始。朝7時から夜21時まで。
この延長保育は、公立保育園の4年前の実施であったらしい。
~ ⑥平成3年から リスタービル ~
⑤の貫井2丁目の場所の隣接地がマンション建築工事になったため
一時的にリスタービルに引っ越し。
だが、結局一時的ではなくその後6年間そこにとどまることになったそう。
平成6年から、幼児保育(3歳児以降)を開始。
以前の記事「3歳の壁」に書きましたが、これは保護者にはありがたいですが
無認可保育園にとってかなり大変な決断だったと思います。
~ ⑦平成9年から 現園舎 向山一丁目 ~
初めて自前の園舎が建てられた瞬間。
写真は、完成直後の3階テラス。この写真の角度から考えると
現園舎のお隣さんが同時期に建築中だったので、
そこから写真を撮らせてもらったんだと思います。
引っ越しも最後と思われた現園舎が建ったこの時から、まだわずか13年ちょっと。
保育制度変更の為、風の子保育園はまた引っ越しをして
新たに園舎を建てる事が必要になってしましました。
~ ⑧平成2X年から 認可園になり、新園舎完成 ~
まだ、写真はありませんが、あとちょっとで、⑧は現実になろうとしています。
半世紀以上続いた「移転の歴史」に終止符を打ち
先生も保護者もそして、子ども達も安心して過ごせるような環境に
一刻も早くしていきたいと思います。
それには、皆さまからのご支援が必要です。
どうか、お願いです。これまで過去54年間、皆で必死でつないできたタスキを
皆様のお力で未来へ繋げてください。
こんなに、良い保育園が無くらならないように、是非ご協力お願いいたします。
寄付の振込先等のご案内は→こちら
どうぞよろしくお願いいたします。
準備室 スガワラ(4歳児クラス娘の父)