黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

特攻隊で戦死した従兄

2017年05月18日 | 戦争

今日は

昭和20年(1945年)5月18日

陸軍の特攻隊で沖縄の海で散った

従兄の命日である

 

1998年日本がW杯に初めて出場した

フランス大会を前に私の思いを投書した記事である

 

今も思いは同じ 従兄を偲び平和を祈っている


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4 コメント

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グランマ様 (kazahana)
2017-05-18 19:52:32
グランマ様
戦死されたお父様、お写真でより会ったことがないお父様、
私よりずっとつらい悲しい年月をお過ごしになったことでしょう。

お父様のご冥福をお祈りいたします。

私も特攻記念館で従兄の遺影と対面した時のことが浮かんできます。
年を重ねる度に思いが深くなって行く気がいたします。
特攻機 (kazahana)
2017-05-18 19:40:41
すけつね様
従兄の実家は木古内でした。
敗戦後引揚げ伯父宅に身を寄せた時、伯父、伯母の嘆きの深さを思い知りました。
もう少し早く戦争が終わっていたら死ななくて良かったのに・・・

すけつね様のブログこれから拝見します。
Unknown (Unknown)
2017-05-18 18:37:54
kazahanaさん

戦争というのはその時だけでなく
残された者たちがいつまでも忘れることが出来なものですね
グランマの父親も戦死です
顔も写真の中だけでしか知りません

kazahanaさんの投稿なさった文を読み
鹿児島の特攻記念館で読んだ文を
想い出しました

孫達にこんな思いをさせてはいけないですね
特攻機 (すけつね)
2017-05-18 17:22:04
従兄の方が特攻機で出撃されたとのこと。悲しく思います。昭和18年、5歳の時、私は函館の的場中学校の近くに住んでおりました。プロペラ機が家の近くで飛行訓練を行っておりました。もしかして、従兄の方も飛んでいたのかなと思いました。戦争に敗れることは軍の幹部は知っていたはずです。それなのに特攻を繰り返し命じ、若い命を粗末にしたことに戦争の悲惨さを感じます。絶対に戦争に踏み込んではいけない!政治に関係のない若者や、子供たちが犠牲になってしまいます。
元、沖縄を攻めたアメリカ兵に会ったことがあります。私のブログです。⇓
http://blog.goo.ne.jp/suketsune/e/5992f449f2f5ec692a54eb953c450530