戦後70年
高齢社会になったが 戦争を知っている年代は少なくなった
子供の頃経験した暗い時代のことを振り返ってみたい
昭和12年(1937年)8月
私が4歳の時
父は出征した
当時は“支那事変”と言っていた
大好きだった父がいなくなることが悲しくて
泣いたことを覚えている
それから3年 父は無事帰ってきたが
小学校入学の時もいなかったし
淋しい生活だった
母は30歳と若く
10歳から乳飲み子まで4人の子供を抱えて
つらい苦しい生活だった
祖父を亡くしたばかりで 頼る身内もなく
収入も僅かで
精神的にも経済的にも 一番苦しかったと思う
大きな家を売って郊外の借家に移り住み
和裁の内職をし
親子5人 つましく ひっそりと 過ごした
年老いてからは明るい母だったが
あの頃は 恐い厳しい母だった
母は亡くなる少し前に
「生きていて一番つらかった時」 と語っていた
それでも我が家は恵まれた方である
父は生きて帰ってきたが
戦死された方たちの家族は悲惨で 気の毒な生活をした人が多い
現在のように 社会保障がなく
幼い子供が働いたり どん底の生活を送った
戦争は国民すべてを不幸にするのです
父が出征する前の晩写した
遺影になるかもしれない写真
私も一緒に写すと ごろつき
次の日 大勢の人に見送られ 祝出征ののぼりや 日の丸の旗が振られ
「勝ってくるぞと勇ましく~~・・・」
軍歌に送られて行った
平和だから花も見られる
お父様が出征された日中戦争の頃、私はまだ生まれていませんでしたが、
太平洋戦争は体験していますので、お母様のご苦労が当時の母とオーバーラップします。
戦後70年経って戦争の知らない首相の下、日本はあってはならない方向へ
向かっているようで不安です。
日本中のお母さんが同じように苦労したと思います。
そんな時代が二度と来ないように願ってますが・・・
戦争を知らない首相、権力者は自分が手を汚さないから、痛みも知らないのだと思います。
不安でいっぱいです。