被災した茨城県神栖市
今日で震災から1年半たちました。
率直な感想としては、まだそれしかたってないのか・・という感じ。
あの日、会社のビルにいたのですが、
窓からは崩れ落ちる工事現場や、遠くに立ち上る黒い煙が見え、
なにかとんでもないことが起きていると漠然と思いました。
それは時間がたつにつれ徐々に現実味を帯びてきて、
電車が止まって何時間も歩いて帰ったり、茨城の両親と何日も連絡が取れなかったり、
東北の大惨事をニュースで知ったり・・
本当に、超リアルと非現実的な感覚が同居しているような感じでした。
一週間ほどたって茨城までの道が通れるようになり、
バスの運行が開始されたのですぐに実家へ向かいました。
近づくにつれ、道路がひび割れ、電柱が傾き、
家の屋根が崩れ落ちている景色が広がってきました。
地震の被災後の茨城県神栖
鹿島神宮駅周辺
幸い両親も無事で、家もちょっとひびが入ったくらいで済んだのですが、
鹿嶋や神栖でも避難所生活をしている人もたくさんいたし、
少し北の方に行った大洗の方は甚大な津波の被害にあっていたので
喜んでばかりもいられない状況でした。
1年半たった今でもまだ34万人もの人が避難生活をしている現在、
一日も早く本当の復興がなされるのを願うばかりです。
今日で震災から1年半たちました。
率直な感想としては、まだそれしかたってないのか・・という感じ。
あの日、会社のビルにいたのですが、
窓からは崩れ落ちる工事現場や、遠くに立ち上る黒い煙が見え、
なにかとんでもないことが起きていると漠然と思いました。
それは時間がたつにつれ徐々に現実味を帯びてきて、
電車が止まって何時間も歩いて帰ったり、茨城の両親と何日も連絡が取れなかったり、
東北の大惨事をニュースで知ったり・・
本当に、超リアルと非現実的な感覚が同居しているような感じでした。
一週間ほどたって茨城までの道が通れるようになり、
バスの運行が開始されたのですぐに実家へ向かいました。
近づくにつれ、道路がひび割れ、電柱が傾き、
家の屋根が崩れ落ちている景色が広がってきました。
地震の被災後の茨城県神栖
鹿島神宮駅周辺
幸い両親も無事で、家もちょっとひびが入ったくらいで済んだのですが、
鹿嶋や神栖でも避難所生活をしている人もたくさんいたし、
少し北の方に行った大洗の方は甚大な津波の被害にあっていたので
喜んでばかりもいられない状況でした。
1年半たった今でもまだ34万人もの人が避難生活をしている現在、
一日も早く本当の復興がなされるのを願うばかりです。
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