加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【自覚は自分でするしかない】

2011年01月30日 | 未分類
八木節の歌詞にもあるじゃないか。
「ちょいと出ました三角野郎がぁ~、自覚自免の胡座(あぐら)の上でぇ~」ってね。
『おいっ、自覚自免じゃなくて四角四面だろが、胡座じゃなくて櫓(やぐら)だし』
と、ひとりボケつっこみをしてみる。別にヒマだからではない…こともないか。

つまり、自覚ということについて考えてみるに、
「もっと自覚しろよなっ!」
と言うような、相手に対して自覚を促す言葉などは実際問題、何の効果もないのだ。

そもそも自覚とは自分でするもの。人に言われたからといって簡単に改まるものでもない。
自らが得心した上で、きっちり自意識の中に落とし込まなければ、人はなかなか行動に結びつけられないものなんである。

「自覚自免の胡座の上」はわたしの造語であるが、自免とは即ち、自分で己を免責すること。自覚することを自ら免じて、無為の上に胡座をかいているといった程の意味である。
人は色んな場面で自覚を求められたりするのであるが、さりとて中々自覚できないのが人の常でもある。


【三角野郎】
「義理を欠く・人情を欠く・恥を掻く」の三拍子揃った男のこと。
「欠く・欠く・掻く」の三つを三角に例えたものである。