この日の「世界・ふしぎ発見!」(TBS)は、「温泉」がテーマでした。
ふしぎ発見が日本を特集するとき、いつも手抜き感が漂っていてうっとおしかったのですが、今回はなかなか楽しめる内容でした。
明治時代、文明開化に明け暮れ、日本文化を「古びた文化」、「時代遅れの文化」などと日本人自ら卑下したり、外国人英語教師に罵られていた時代、「お雇い外国人」と呼ばれた政府召喚の技術者たちは、日本人が忘れかけた、また棄て去ろうとしていた文化に惚れ、積極的に日本の文化を海外に紹介しようとしていたのですね。なんとも皮肉なことです。そしてそれは、何も明治の話にとどまったことではないですよね?
特に注視すべきは、東京医科大学の教師として招かれたベルツ博士です。
彼は医学の中に「湯治」を積極的に取り入れ、それを医学の一分野に位置づけた功績のある方ですが、それだけでなく、剣道を通して日本人にスポーツ文化の発展と日本の伝統文化の誇りを取り戻させた人物でもあります。剣道の師範までやっていた、というのですから、驚きですね。
そして話は、ラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲へと移ります。
1890年、新聞記者として来日したハーンは、浜村温泉(鳥取県)で、ある恐ろしくもあり悲しい話を聞いたのでした。
それは、「鳥取の布団」。
鳥取のある宿屋は、主人がとても気さくでとても繁盛していたかに見えたが、夜になると、布団から「さむかろう」とつぶやく声が聞こえ、客が逃げていった。その話を聞いて主人は、その布団を買った古道具屋を尋ねて事情を話すと、それはある貧乏な家の布団だったそうだ。
ある貧乏なうちで両親を失った幼い兄弟が、大雪の寒い日に大家に無理やり家を追い出され、「さむかろう」といって寄り添って眠るように死んでいったそうだ。
主人は、その兄弟の供養のためにお経をあげてもらった。それから、布団から声はしなくなったのだという。
その後、「知られざる日本の面影」を著し、様々な日本文化を紹介していったハーン。その情報は、まさに温泉地から収集したものだった。温泉地は、人々が集い、憩うのと同時に、様々な情報を交換できる場でもあったのですね。
温泉は、日本のよさが凝縮された、誇れる文化なのですね。
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