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蚊焼です。日記です。
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【WH】「大地の骨」岩は死の象徴

2009年08月02日 | テレビ


 今日の「THE世界遺産」(TBS)は、イギリスのストーンヘンジ。正式な登録名は「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」でした。
 ストーンヘンジばかりが注目されがちですが、それだけが価値を持つのではないのです。ましてやそれのみが歴史を雄弁に語るものではないことは世の常です。周囲にある遺構や、遺物などがあって初めて、ストーンヘンジを語る事が出来ると言うわけです。



 ストーンヘンジ(ストーンサークル)の北側に、ウッドサークルと呼ばれる、木造版ストーンヘンジがあるとは知らなかった。
 ストーンヘンジは、ほぞとほぞ穴を作って柱と梁を固定させ、梁の継ぎ目を仕口のように加工してあるというのは、うろ覚えながら知っていた。これは木造建築技術を応用したものだ、と考えられている。なるほど。
 ならば、ウッドサークルは、ストーンヘンジよりも前に建造されたかと言うと、そうではない。どうも、石も木も、同時代に建てられたと考えられているそうだ。この点はやや疑問だが、しかし現地の大学教授の話を聞けば、一理あるようにも思えた。

 大学教授の説は、木造のものは生の象徴、石造は死の象徴として建てられたものだ、というものだった。
 木造にはぬくもりがある。そして生活する家などの建材に使われていた。何より、木は生命力の産物である。それに対して石は冷たい。無機質なものである。
 その説を支持するかのように、石造の周りは人骨が多く発掘され、木造の周りは人骨が発見されなかったという。

 イギリスはもともと、鬱蒼とした森林に覆われていたはずだ。それがゲルマンの大移動に始まる大開拓。過剰な放牧、囲い込み運動など目まぐるしい農業政策。今見る美しい草原は、実は森林破壊の賜物とも言える。
 ウッドサークル建造当時は、森林に覆われていたのだろうか。そこを開拓し、下手に地力を失わせるとどうなるか。
 これは私個人の考え方だ。おそらくは、岩がむき出しになったのではないかと推測している。そしてそれは、「大地の骨」に見えたのではないだろうか。
 故に岩は、死の象徴とされた、と考える。さすれば教授の考えに納得がいくのだ。

 それにしても面白いのは、生の空間と死の空間を、分け隔てることの、世界的な普遍さだ。
 ストーンヘンジとほぼ同時代のエジプトも、ナイル川を挟んで二つの国を分け隔てた。巨石文明は、世界観および死生観も一致する所があるのだろうか。
 だがひとつだけ決定的な違いがあった。ストーンヘンジの巨石文明は、文字を持たなかった。惜しむべきことではないか。
 もっとも、文字が残っていたからとて、文明の謎が解明されるわけではない。ピラミッドの文明を引き合いに出すまでも無いだろう。ご存知のように、依然としてピラミッド建造の方法と目的が分からないのだから。
 ならば共通点が多い、この二つの巨石文明を相比較して、相互に見識を補っては、共通の謎を解明してみると言うのも一つの手というような気もする。浅はかな素人考えではあるが。

 兎角謎だらけの遺跡である。有名な世界遺産であるにもかかわらず、その実については何も知らないままでいる、人間の見識の浅さと言ったら何ぞや。
 いや、浅いというには十分に深いのだが。もっと、深みを目指さねばならない。故に世界遺産にずぶずぶとはまり込んでしまう一因が、ここにあるのだ。