→ 「関村絵図」にも描かれているように、関村の溜井は下流に堰を設けていました。堰の南側に村の鎮守(別の村絵図では「三十番神)が祀られており、現在の水門と右岸段丘上にある鎮守、天祖若宮八幡宮の位置関係と変わりません。なお、関村の名前の由来として、この溜池の大堰も有力な候補です。最有力は関所説で「新編武蔵風土記稿」は次のように述べています。「関村は郷庄、及び日本橋よりの行程前村(下石神井村)に同じ、当所は多摩新座郡の接界にて、古へ京都より奥州筋への街道掛り、豊島氏石神井に在城せし頃関を構へし所なり、今も大関小関等の小名あるは其遺跡なりと云」(「新編武蔵風土記稿」) 同書に収録された小名は10ですが、うち大関、小関、関原と関がらみが3あります。
- ・ 富士見池 最下流の区画で、左手に写るのが松の島、正面奥に水門が見えています。なお、富士見池を中心とする武蔵関公園は昭和13年(1938年)に開園しています。
- ・ 富士見池水門 石神井川の増水時には、水門を閉め切ることにより、水位を1.5mかさ上げすることができ、最大3.1万トンの貯水が可能となります。
- ・ 石神井川 弁天橋からのショットです。水門を流れ出した水は、富士見池の南縁を回り込む石神井川と合流、弁天橋先で右折して西武新宿線としばらく並行します。
- ・ 天祖若宮八幡宮 弁天橋の右手、右岸段丘上にあります。三十番神社が明治に入り天祖神社と改称、さらに若宮八幡と合併したもので、村絵図にある弁天社も合祀されています。