神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下高田左岸4

2018-08-16 06:16:41 | 落合・目白崖線

 大沢水車の用水となった後の田用水を追っています。明治時代の字堰下の北縁をたどり、新目白通りを越え、明治通りまできました。明治通り前後は断続的ですが、氷川神社や南蔵院の北側に出てからは、現存の道路とも重なり、「郵便地図」などにも水路が描かれていることから、いつもの青点線を書き込んでいます。なお、「遊歴雑記」(文化文政ころ 十方庵敬順)のなかに、「南蔵院といえる寺の門前、畦道を左りへ取て、西へ行こと溶りまがりて三四町」、あるいは、「南蔵院の前なる畦路を小流に添いて西に行くこと凡そ七八町」とあり、これは今回の流路沿いの畦道をたどっているものと思われます。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 明治通り前後の中断を挟んで、この道路から再開します。  

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    2. ワンブロック、100m弱で再び中断します。  

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    3. 氷川神社の北側に沿う道路で再開します。水路は左手を並行していました。  

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    4. 南蔵院前です。面影橋を通る古道に突き当たり左折、すぐに右折で古道を離れます。  

 <右橋>  今回の用水は南蔵院前で鎌倉古道を越えますが、そこに右橋が架かっていました。「右橋 南蔵院の前に架す石橋を号く。往にも還るにも右の方に見るより名とす。旧名を藁塚橋と呼べり」(「江戸名所図会」) 鎌倉古道がクランクのところに架かる橋で、面影橋から差し掛っても、逆に宿坂から下ってきても、どちらも右折の先にあるのでそう呼ばれました。なお、別名の藁塚橋に関しては、「若葉の梢」は、「用水の通路なれば、わらをおし入れて橋とし、渡りけるとも」と書いています。