
香川県三豊市粟島 2015年3月
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同世代のご意見を見る機会が増えたけど、今朝はある方の相続の記事を見て胸の動悸が納まらない。
もう済んだはずだけど、やっぱりトラウマになっているんだと思った。
人生に乗り越えなければならない山はいろいろあるけど、相続もその一つではないでしょうか。
こんなことはそのご家族なりの事情があり、一概にどうとは言えないけど、私のささやかな体験から言えることは、親の死後、子供たちが大変にならないよう、前もって準備する。これに尽きますね。それでもまだ不十分かも知れないけど、しないよりはまし。
歳とったら何でもかんでも自分で頑張らず、上手に家族や他人に頼む。さらに進んで、家族に負担がかかるようになったら、自分の我を通さず、家族の決めたことに従うと、まあそんなこと考えました。
いえ、私は何もうちの姑様のこと言ってるわけではなく、私はそうありたいと思っています。
夫が施設に入れたくない、入れてしまえばもうこの世にいなくなったみたいで(寂しい)と言って、主に自分でお世話しているので、できる間はすればいいと思っています。
見た記事の引用になりますが、義姉が実母の食事を作らなかったとのこと。私はの曲がりなりにも作っているのでからくもセーフ。義妹が来たときも本当は作ってもいいのですが、義妹がしてくれるのでお願いしています。その方が口に合うと夫も言ってます。
先日は義妹が(私が作るので)「一緒に食べましょう」と誘ってくれたけど、たまたま孫が来ていたし、そこまでしてもらうのはさすがに厚かましいと遠慮しました。ねっ、義妹はいい人でしょ。
こんなことにも長い家族の歴史が詰まっています。
姑様にしたら、自分の子供たちが来た時、長男の嫁の手を煩わせたくないという全くの善意からしてきたはずだけど、私にしてみれば、手伝い要請のお声が長い間、全くかからない訳をいろいろ考えてしまっていた。
ちょっとひがんだ時には、私の何がいけないのだろうと。
私は欠点がありまくりの人間なので、思いあたる節も多々あってどれが原因か分からないけど、結局は、たまにしか来ない子供たちと過ごす時間に一秒でも他人の私を入れたくない、そう思っていたのだと結論するに至りました。
それも一つの考え方。
というか、資産が家に属するものではなく、個人に属するものと人の意識が変わったので、そして夫の父親の相続ではなるだけ不平等にならないようにしたらしいので、今さら私が長男の嫁の役割意識にとらわれることもないのだと思います。
くだんの記事の義姉さんの行動も、長くて深い家族の歴史の結果かもしれません。立場が変われば見方も変わる。私もまた、今どう思われているか、振り返るいいきっかけにはなりました。
姑様はだいぶ認知症も進んだけど、やっぱり義妹が来た時には私に近寄ってほしくないようなので、まだ遠慮しています。
先日は、私以外に世話する人は誰もいないのに、何度行っても「いいから帰って」という動作を繰り返し、帰宅した夫が行くと椅子に座ったまま大の方をしていたそうです。気持ち悪いけど、自分ではどうにもできず、でも、私に気づかれるのが、替えられるのが嫌だったのでしょうか。わかりませんけど。
どんなになってもプライドがあるのが人間、なんか涙が出る。。。。
相続から強引に自分の話になりました。深謝。









