四国の人と待ち合わせて、倉敷を歩きました。
広島~倉敷アウトレット往復バスが無くなって、倉敷も行きにくくなりましたが、今年は四回も行くことになりました。
観光はどちらでもよろしい。たまった話をすればそれでよし。幸い暖かくていいお天気。楽しく過ごしました。
いろいろ話しているともうお昼です。美観地区外れでピザ食べました。
同行者は用事があるので、食後解散。
私一人で街を歩きます。
店
店いろいろ
路傍
町並み。景観を維持するのも大変です。
路傍。
鉢植え。
商店街。
チボリ公園時代のからくり時計は休止中。
往復新幹線で高くついた。やれやれ。暖かい日を惜しむように出かけまくる私。
来月はおとなしく家にいて、たまった用事、片づけましょう。
帰ると、地元のグループが発刊した小説の同人雑誌が届いていた。
昔、別の同じグループで活動していた人が送ってきたもの。
また一緒にやりませんかとのお誘い。お誘いはありがたいけど、同人雑誌はもうやりたくない。
その心は、自分が書くのはまあ下手なりに何とか出来るかもしれないが、人様の素人の小説を、読みたくないのに読まされるのはとても辛い。
書いている人は、自分の思いを時間を割いて文章にしているので、言わば命の時間と引き換えくらいの尊いもの。褒めて差し上げて、またその方の生きる元気になるようにしないといけないのだけど、逆に言えば素人の、自ら読もうと思わないものを読んでいいとこ見つけるのは辛い。
若い時ならそれも勉強と思ったけれど、今はもう残された時間は有限、したいことだけこなしていくのでも精いっぱい。
せっかくのお誘いだけど、断ることになると思う。
自治体が募集した小説の審査を頼まれたこともありますが、本当の素人がやむにやまれず書いたものは技術は未熟でも、言いたいことがじかに伝わってきて、心動かされることもありました。
しかし、同人雑誌を長くやっておられる方は個性的、かつプライドの高い方も多いので、下手なことは言えないし、人間関係のあれこれに巻き込まれたくないし。あんなしんどいこと、よくやっていたなあと言うのが今の感想。そこにしか自分が生きている実感、感じられるところがなかったから。
子育ての日々、閉塞感でいっぱい。あの時代にネットがあり、発信する機会があればとも思うけど、簡単に文章が発表できる今と違い、集まって、お金出し合っての世界。そこにしか自分の場所がなかった。
今はどこにあるのかなあ。今日話した人、お稽古事をよく変わっている。人間関係が鼻に突き出すとさっとやめるそうな。やめると、次自分が何したいか見えて来るそうで。なるほど。
あと10年でしょうか。何とか活動できるのは。さて、残された日々、大切に大切に使いたいものです。
2012年11月。ドイツ、ローテンブルクで。