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黄金山を歩く

2021-08-03 | 山歩き

元は広島湾に浮かぶ仁保島。戦国期には毛利ののろし台があり、それ以前は大内軍と地元勢力との合戦が度々行われたそうな。

それもこれも、晴れた日には遠く山口県まで見える見晴らしのよさから。

昭和三十年代には車道が整備されて、頂上にテレビ搭の施設が二つ建てられる。広島テレビの方はなくなり、今は一つだけ。

20年くらい前には毎日の散歩コースだったけど、飽きてしまって2年くらい行ってなかった。この日は夫がトレーニングするというのでついて行く。

乾燥に強いタカサゴユリ多数。お盆頃に咲く。

温暖化が進んでいると思われます。

緑陰の車道を。

片側はソメイヨシノの古い並木道。

1954年、当時の皇太子の成婚記念に植えられたそうです。

途中からの眺め。手前、マツダの工場群。車を運ぶ船が見えます。

我が家はオレンジの印付近。

マテバシイ。秋の準備。

生きて動いていた。

展望台広し。

以前はアンテナ施設に喫茶店まであった。手軽なドライブコースだったと思われます。

我が父親も車買って、初めマツダキャロル、ついでマツダファミリアのオーナーだった。ドライブの後、喫茶店でお茶飲んで帰るのが当時の我が家のレジャー。たまに釣りや海水浴。

父親は40代、何という若さ。と、年寄りが昔話。

市中心部。山は比治山。

近世初めの海岸線はあの山の真ん中あたり、今の平和大通りの線。それからまあー、埋めに埋めたり。

初め新田開発、今は市街地。

東方面。

太田川支流東端の猿猴川。猿猴とは河童のことらしい。

あちら岡山方面。星印がマツダの本社ビル。R2に面している。

高校の修学旅行、一般道をバスに乗って延々と広島まで。

ここまで来たらQ君が、「マツダの社長はファミリアに乗ってる?」と笑っていた。さて、何に乗ってたのでしょうか。キャロルにファミリア、ヒットしましたよね。ヨーロッパではマツダのコンパクトな車が今も人気と聞きましたが。

Q君はのちに、学会に来たついでに、長男の生まれたばかりの家に遊びに来たことも。夫とは同業者。私の分からない話をいろいろしていた。

すみません、話を進めます。

南東方向。

1はマツダ構内の橋。一般車は通れません。夏休みは工場見学に二度ほど連れて行った。今もあると思います。車のおもちゃとかお土産が豪華でした。

2は海田大橋。

3は広島大橋。呉方面への自動車専用道です。

向こう江田島。左側は本土側の山々。

島と本土、見分けがつきにくい。

星印付近は牡蠣筏。


この後下山。10時過ぎには帰宅。夏は暑くなる前に活動いろいろ。昼間はじっと、死んだふりしてる。何かをしようなんて思わず、健康で暮らしていれば私たちの年ならそれだけでOK。

長い長いコロナの期間。その間にも子供たちは成長する。その時にしかできない体験いろいろがあるはず。何とか楽しく過ごしてほしいもの。

そしてついに、新型コロナに感染しても医療の対応は30歳以下優先、それ以外は自宅待機って政権が言い出した。

40代、50代は社会の中心の世代、子育て世代でもあります。どの命が大切、どの命はどうでもいいなんて決してあってはならないこと。世代によって平然と命の選別する政権、ついにここまで来たかなと暗然。

家でなすすべもなく亡くなる人が増えるのでしょうか。悲しすぎる。。。。

そしてこの穏やかな性格の私も←どこが!!も激しい怒りを禁じえない。

政治って何のためにある?

何のために真面目に税金納めてきた?

子供や年寄りだって消費税収納めてきたのに。


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4 コメント

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Unknown (びこ)
2021-08-03 11:17:28
本筋の話もさることながら、余談の話が面白かったです。マツダで思い出しましたが、広島の大叔母の育てた養女さんは非常な美人であったため、マツダの御曹司に望まれたらしかったのでしたが、あまりにも家格が違いすぎると大叔母が断ったと聞きました。この養女さんの実父は広島の病院長だったと仄聞したことがありますが、ひょっとすると美人看護師さんとの間に生まれた不倫の子だったかもと、これは亡母が申しておりましたことです。が、今となれば、闇の中です。この養女さんは私の母が亡くなるまで本当の親を教えてほしいと母に頼んでいましたが、大叔母は、その秘密を墓場まで持っていってしまいました。
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びこ様へ (frozenrose)
2021-08-03 18:05:46
こんにちは。
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
大叔母様は実子がいなくて養女をもらわれたのでしょうか。

今は本当の親のことも小さい時から教えて育てるようになったそうですが、昔のことだし、お考えがあってのことだったのでしょうね。

私の想像ですが、大きくなったら絶対に知りたいと思い、教えてもらえないと、ルーツがどこにあるか分からない不安定な気持ちを抱えたままになるのではと思います。

マツダの社長との縁談、もし調っていたら今頃どうなっていたことでしょう。運命って不思議ですね。
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Unknown (びこ)
2021-08-03 19:00:45
大叔母は子供に恵まれなくて養女を育てましたが、大叔母はそれを隠していました。が、私の祖母は知っていて、母も祖母から聞いたのだと思います。それで養女さんは東京の短大を卒業後、大叔父さんの親戚の広島市内の病院に預かってもらって花嫁修業したりしていましたから、その病院の院長先生がたぶん実の父親だったと思います。しかし、だれも本当のことを言わなかったから養女さんは今でも気持ちが落ち着かないと思います。ある意味、かわいそうですね。養女さんは私より8歳年上で私のことを妹のように思ってくれています。もう80歳を超えていますが、今も美人さんです。
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びこ様へ (frozenrose)
2021-08-03 20:49:22
こんばんは。立ち入ったことお聞きしてごめんなさいね。
その養女の方は、もしかしたらその医師について何か感じることがあったかもしれませんね。

私がその方の立場だったら絶対に実の両親のこと知りたいと思います。たとえ不倫だったとしても、自分の親がどんな顔してどんな人生歩んだか知りたいですもん。
実の親の方へ行ってしまうのではないかと、昔は本人に隠すこともあったと聞きました。でも生みの親より育ての親、育てた絆は強いと思います。

私の叔母の1人がよそへ養女に行ったのですが、本人は、普通に我が家にも遊びに来ていました。
三歳のころ、子供のない養家に遊びに行って、あまりに居心地がよくて本人がここがいい、帰らないと言い、そのまま養女になったとか。
何か日本昔話みたいな話です。

差し出がましいこと言ってごめんなさいね。
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