ブログ

 

ベロコを買う

2020-06-15 | 日記

朝からいいお天気、7時過ぎたので買い物に。

広島ではギザミ、標準和名は確かキュウセン、我が実家ではベロコと呼んでいました。

夏の魚です。

中年すぎて釣り好きになった父が、庵治の海でよく釣ってきていました。

もっと小さかったけど、たくさん。近所に配り歩いていた。

今朝はかねて懸案の庭掃除。

伸びた枝を素人風に剪定する。

モミジ、シデコブシ、ユキヤナギ、シロモジ、ヤマアジサイなどなど。

ついでに息子からもらったウズアジサイを鉢植えにして、オオバギボウシをそのあとに植え替えた。

木が茂ってどちらも花が咲かなくなったので、場所の移動。

大雨のあとなので、土は柔らかいし、まだ蚊が出なくて仕事がはかどった。

自分の裁量で木を植え、山野草を植え、好きなように木を切って山野草を動かす。狭くてもしみじみと嬉しい。

あとはカシワバアジサイともう一つのアジサイ。来月かな。

昨夜は人さまのブログ拝見しているうちに、数年前、大喧嘩になった二つのブログに行き当たった。

最初は言葉のちょっとした解釈の違いだと思うけど、参戦者も現れ、売り言葉に買い言葉で、お互い体調崩すほど感情的になっていた。

ブログの世界ではちょっと有名な話だったらしい。

驚いたけど、私も気を付けないと。

私は人さまのブログ見て、花の名前についてコメント入れたことも何度か。でもこれからはやめておきましょう。


昨年の今頃はつらいことがあった。あるお稽古ごとに行っていたけど、急にその場の話に入っていけなくなって。

何を話しても、ああそれはねと、上から目線で否定されるし、自分の話は延々続くし、私には縁もゆかりもない自分の友達の話も延々するし、先生も一度も私の顔を見ずにその人とばかり話をするし、お稽古終わって帰ろうにも延々話が続くし、先に帰ったら、出たとたん私の噂されそうで、我慢して話聞いていた。

なんでそうなったのかは不明。

誰かを目の前にして自分たちの親密さを見せつけるのは、誰にとっても手軽でちょっと暗い快感。・・・としか思いようがない。

水彩画の友達はとりあえず、こちらの方を向いて話してくれていたし、心が弱っていたので、嬉しかった。

自分の狭い見聞から来る価値観にゆるぎない自信を持つ。それは私たち世代の人間に散見されますが、私も気を付けたいなと思います。何歳になっても新しいことには謙虚でありたいもの。

一年たって、ようやくこうして字に書くことができた。当時はもっと感情的に、少しここで書いた記憶がありますが。

自分の扱いが不当だと抗議してからやめればよかったのかな。いや、それはお互い後味が悪いのでしなくてよかったと思う。

人間は結局、自分と価値観がよく似た人としか長く付き合えない。残念ながら、さらに言うなら境遇も。劣等感も優越感も扱いは面倒だから。

ようやく、数年間、楽しく過ごせたことを今は落ち着いた気持ちで感謝できるようになった。人は機会がくれば出会い、縁が切れたら分かれていく。教わることもあったので、無駄ではなかったと思う。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 綜絖終わり | トップ | 軽いバッグやーーーい »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。