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「K」三木 卓

2019-12-09 | 読書

1935年生まれの著者は今年で85歳、先日、どの雑誌だったか忘れたけど、文芸雑誌の新年号に短編書いていたので現役の作家。芥川賞、読売文学賞を始め、受賞も多い。

その作家が2012年に群像に発表した長編。

Kとは亡くなった奥さんのこと、出会ってからがんで亡くなるまでのことを題材にしている。

元々は誌の同人雑誌仲間。二人とも詩を書く人だった。気になって誘ったら来てくれて、次には小さな風呂敷包み持って、一緒に借家にやってきた。二人とも小さな出版社に勤める身、生活は苦しく、それでも東京の片隅で寄り添うように生きていく。

Kは東北の大きな商店の娘、金銭感覚、生活感の違いに戸惑いながらも、相手を理解しようとするけなげな語り手。この辺りは読ませどころかも。

一緒に生活し始めて数日後、風呂沸かしてと言ったら怒って友達の家に家出してしまう。わけわからない。その友達が「彼女、風呂沸かしたことないんじゃないの」と指摘し、やっと育ちの違いに思い当たる。

これは歌手のユーミンもどこかで言っていたことですが、使用人の中には寝るところと食べるものが給料の代わりで、風呂沸かすだけが仕事のおじいさんがいたと。

Kの実家にもたぶんそんな人がいたのでしょう。

しかし愛情いっぱいに育てられたのではなく、学齢期まで里子に出され、帰ってからは大家族の中で自分がどう振舞うか気に掛ける子供だった。乳母が懐かしいのは太宰治の「津軽」と同じ。

作品の中の夫≒著者は詩から小説へと自己表現の場を移して行き、筆一本で何とか生活を維持できるようになった時に、妻から仕事場を別に持ち、そこで仕事してほしいと持ち掛けられる。やがて帰宅するのは大みそかだけという別居生活を何十年もすることになる。

妻は何をしていたかと言うと一人娘を溺愛し、この小説の時間の中では30歳過ぎてまだ未婚の娘と暮らしている。たまに詩を書き、夫の原稿料を管理し、ということは税金関係も処理して、働きには出ていないようである。人見知りで気難しい妻は若い時から仕事にはなじめず、自分の思いを強引に押し付けるところも多々あり、やがて別居生活がお互いにとって常態、心地いいものとなっていく。

最後は妻のがんの闘病、大腸がんからあちこちに転移し、辛い闘病生活を夫は支える。弱みを見せるべき時にも、来てくれるんでしょとあくまでも高飛車。それでも夫は妻が不憫だと、食事しながら不意に号泣する。

夫婦のあり方は人それぞれ。出来すぎた妻で、愛情いっぱいの家庭で、果たして作家としていい仕事ができたかどうか。放り出されて、別々に過ごして、それでも困った時にはかけがえのない存在として助け合う。それもまた夫婦。

妻のわがままはあまり同感できなかったけど、昭和20年代から30年代初めの都会の貧しい暮らし、弱っていく妻とそれを面倒見る夫の愛情、そこが読みどころだと思った。

そして何よりも、妻を深く理解している。それこそがいちばんの愛と私は思った。


昨日の私の夫の発言。

カープ、鈴木選手がNHKのスポーツリポーター、元オリンピック新体操選手との結婚間近という記事を読み、とても羨ましそうにしみじみと「野球できたら何でもできる」と言っていた。

夜、テレビ見ていたらたまたまお相手の方が出演、美人でしっかり者のとてもいい方のようにお見受けした。

夫がまたしみじみと「野球できたら何でもできるーーー」と涎を垂らさんばかりに羨ましがるので「じゃ、今から頑張って野球選手になれば。まずキャッチボールから始めたら」とアドバイスしたのですが、キャッチボールしないそうです。

鈴木選手のお嫁さんになると思うから羨ましい。そうではなくて、鈴木選手が好きになり、カープ球団へ、広島のファン全体のところへ来てくれる。そう思うと羨ましいよりは嬉しいはず。そうですよね。

「最高ですーーー言うて、ただの野球バカかと思ってた」そうですが、そんなことありません。一流選手は人格その他でも優れているはず。そうでないと多くの中から頭角表せません。

鈴木選手、どうぞお幸せに。そして、ますますご活躍を。


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