河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

武智秀夫先生 お別れの会

2017-05-28 | Private
4月23日(日)夕方に武智秀夫先生が急逝された。
翌日、岡大整形外科医局から訃報が届いたが、葬儀は近親者のみで行われるとのことで何とか弔意を伝えることができないかとやきもきしていた。
本日の正午より、武智秀夫先生 お別れの会が開かれると連絡があったので出席してきた。

武智先生との思い出は尽きることがない。

一番最初に武智先生にお会いしたのは医学生の頃で、整形外科で助教授をされていた。
本当に怖い先生で、講義中オーバーを着込んでいたりポケットに手を突っ込んでいただけで講義を受ける学生としてマナーがなっていないと叱られた。
腕組みも武智先生の前では決してしてはいけないことだった。

医学部を卒業して整形外科に入局した時は、朝のカンファレンスで毎回武智先生に質問攻めにされた。
たいてい立ち往生するまで責められるのだが、『蓋然性』という漢字を書いて見ろと言われて黒板に何とか書いたらその時だけは褒められた。
朝食を食べる暇がなくて大学病院の売店でサンドイッチを買って食べていたら、運悪く武智先生に見つかりひどく叱られたのを覚えている。

医学部を卒業して3年目になるというタイミングで、吉備高原医療リハビリテーションセンターが開院し、武智先生は院長として赴任された。
その時、なぜか私は武智先生に呼ばれて吉備高原医療リハビリテーションセンターの開設メンバーとなった。
私は整形外科に入局しながらリハビリテーションを専門にしたいと希望していたので見込まれたのかもしれない。
出身が愛媛県というのも武智先生と同じだったので、それもあったかもしれない。

その後は院長と研修医という関係なので、何かある度に院長室に呼ばれた。
いろいろ叱られもしたが、それ以上にたくさんのことを教えて頂いた。
医学だけでなく文学や哲学などあらゆる分野のお話しをして頂いた。
武智先生は『森鴎外』の研究でも有名だった。
森鴎外と同じくドイツに留学されていたので通じるものがあったようだ。
ドイツ留学中の話もよくしてくださった。

私は吉備高原医療リハビリテーションセンターには3年間だけ在籍したのだが、その後の学位も武智先生に指導して頂いたし、結婚も仲人を務めて頂いた。
奥様が膵臓癌で亡くなるまでは、毎年正月には武智先生のご自宅に挨拶に伺った。

昨年末には手紙を頂き、近況をメールでお伝えしたばかりであった。

御次男のお話によると、亡くなる当日までお元気で過ごされていたそうなので残念ではあるけれども武智先生は本望だったのではないかと推察している。

武智先生、これまで本当にお世話になりました。
ご冥福をお祈り致します。
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