川本ちょっとメモ

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100年前 エーゲ海港湾都市「スミルナの大火」で ギリシア難民800人救助 伝説の日本商船「映画化」の動き =毎日記事転載

2019-05-16 17:58:40 | Weblog
伝説の船長を語り継げ ギリシャで映画化の動き
                    (2019.5.16.毎日新聞 大阪夕刊)

 エーゲ海の港湾都市で約100年前、トルコとの戦争中に迫害されたギリシャ難民ら800人余りを、日本の商船が救ったとの逸話がある。だが史料が極端に乏しく「伝説の船長」(地元メディア)の名前など詳細は分からない。生存者の子孫たちの証言を集め、歴史に埋もれた秘話を映画にしようとの動きが盛り上がっている。【共同】

 「この船に乗った難民の、たとえ髪の毛一本にでも触れれば日本への侮辱と見なす」。当時のギリシャ紙や米紙ニューヨーク・タイムズの記事を総合すると、1922年9月、ギリシャ人が多く住んでいた現在のトルコ西部イズミル(当時スミルナ)の港で、日本船の船長はこう言ってトルコ軍を威嚇し、女性や子どもを含むギリシャ人、アルメニア人を救助したという。祖国解放を掲げたトルコはスミルナ奪還作戦を進めていた。

 「スミルナの大火」と後に呼ばれ、町全体が炎に包まれる惨劇が起きる中、港に停泊していた各国の船は自国民を優先して助けた。しかし日本船の船長と乗組員たちは絹や磁器などの高価な積み荷を全て海に投げ捨てスペースを確保、ちゅうちょなく人々を船に乗せたと当時の報道は伝える。

 こうした史料や関係者の証言を基に2022年までの映画化を目指しているのはギリシャ北部テッサロニキの公共テレビ局ディレクター、ザホス・サモラダスさんだ。「偉大な船長がいたことを、多くのギリシャ人と日本人に知ってもらいたい」と意気込む。

 ただ歴史的事実とするには不明な点も多い。長年情報収集を続ける村田奈々子東洋大教授(ギリシャ史)は「日本側から史料がほとんど出てこないのが不思議だ」と指摘する。新聞の「TOKEIMARU」の表記を手掛かりに船名録を調べ、当時スミルナに出入りしていた「東慶丸」という船が実在したことを突き止め、神戸に住む関係者にも会ったが決定的な証言は得られなかった。

 一方、ヤニス・イトスさん(70)は「祖父から日本人に助けられたと繰り返し聞いた」と明かす。33歳だった祖父は料理人として出稼ぎ中にスミルナの大火に遭遇、着の身着のままで港に逃げ救助された。乗組員らが船上で箸と茶わんを使って米を食べていたのが珍しく、印象的だったと話していたという。「この素晴らしい話が歴史に残らないのはさみしい」。イトスさんは生きている限り証言を続け、後世に伝えていくと語った。


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