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散策スポット:「林子平の墓(龍雲院)」

2016年09月05日 | 川内近辺散策スポット

 「林子平、名を友直、六無斎と号し、仙台の川内に住み、寛政の三奇人の一人で憂国の先覚者であり」と、仙台市博物館敷地内に建てられている林子平の碑に刻まれています。
 林子平は、『海国兵談』や『三国通覧図説』を著し、早くから海防の重要性を説いた学者です。また、1785年の著作である『三国通覧図説』には、小笠原諸島が1593年に小笠原貞頼に発見されて日本領とされたことが記されており、この記述が小笠原諸島の帰属に関してもっとも古いことが確認され、国際的に日本領として認められる根拠となりました。

 林子平の墓は、仙台市青葉区子平町の金臺山龍雲院に祀られています。川内から龍雲院へは、澱橋を渡ってまっすぐ北へ歩いて、15分ほどで行くことが出来ます。澱橋から尚絅学園の前の坂を上り、国道4号(作並街道)を越え、土橋通りの道を上っていけば龍雲院の門前に突き当たります。

龍雲院の山門と本堂

 


(2016/6/1 6:03, 6:05)

 伊達政宗によって開かれた龍雲院は、政宗に従って米沢、岩出山を経て現在地に移された寺院です。この寺には、伊達藩隠密組織「鴉組」の大将だった細谷十太夫や、歌謡曲の作曲で知られる万城目正の墓もあります。

六角堂と並ぶ鞘堂


(2016/6/1 6:05)

  鞘堂と墓石


(2016/6/1 6:06, 6:07)

 本殿の左に林子平木像を安置する六角堂や墓をおさめる鞘堂が並んでいます。鞘堂の中には本当に質素で小さな林子平の墓石が安置されています。この墓地は、国指定の史跡となっています。

林子平の日時計


(2016/6/1 6:07)

  六角堂の前には、「林子平先生長崎遊学から書写、持ち帰った日時計」があります。

六無斎の碑


(2016/6/1 6:06)

 子平は、寛政3(1791)年に「海国兵談」を著したことで、人心を惑わした咎で幕府から仙台藩での蟄居を命じられ、本は発禁処分、木は没収されてしまいました。その時に詠んだ歌が「親もなし、妻なし、子なし、はん(版)木なし、かねもなければ、死にたくもなし」で、この碑に刻まれています。これが「六無斎」を号した由来になっています。
 子平は、寛政5(1793)年に56歳で亡くなり。この墓に納められました。

 龍雲院にある一帯から北山にかけてはたくさんの寺院が並んでいて、古い寺町の趣があります。龍雲院の山門の右手奥から裏に抜ける細道があって、隣接する江巌寺と正圓寺の間の道に出られて、寺町散策の起点にすることもできます。



 

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