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酒の感想ばかり

「真田三代風雲録」中村彰彦

2022-07-10 22:58:08 | 読書
2016年の大河ドラマ「真田丸」に合わせて再刊したのかもしれない2015年に発売されている。実際買ったのは2019年だ。真田ものといえば池波正太郎の「真田太平記」や最近でいえば火坂雅志の「真田三代」なのだろうがあえて有名でない作家の小説を買った。しかも実業之日本社という経済系っぽい出版社という。買ったはいいがどうも読む気が起こらなかった。しかし同じ中村彰彦の「豪姫夢幻」を読んで面白かったので、壁はなくなった。それで3年越しに読み始めることになった。
上巻
真田幸隆の時代から始まる。この戦国時代真っ只中においては「一所懸命」土地を守るため命を懸けるや、「武士は二君に仕えず」といった考えは希薄だった。鎌倉時代から室町時代にかけては強かったようだ。しかし佐々木道誉の例もある。
並行して武田信虎と武田晴信の話も進む。信虎の暴虐ぶり、そして晴信に対する冷遇。また山本勘助の経歴も1章割いて描写がある。今川義元にはそっぽを向かれたが晴信には見込まれ仕官する。そして勘助が幸隆のもとを訪れ武田に仕えないかと勧誘する。その頃幸隆は、武田のいわば敵である長野信濃守に世話になっており、それを蹴って武田に仕えることに抵抗を感じていた。それで、病気になって引退すると1年近くかけて芝居をする。その上で武田の元に行こうとした。しかし実は信濃守は既に察知していて、逆に気兼ねなく出ていけるようにお膳立てをしていたのだった。戦国時代にあって奇特な人物だ。
武田家仕官の試験は、汁と飯の食べ方であった。上品すぎてもダメ、汁を先に平らげ飯を残してもダメ。数人が失格となったが幸隆は合格し、武田二十四将の一人となるべくスタートする。
初めての戦は佐久群小田井城の小田井又六郎、次郎左衛門の兄弟。まずは山本勘助がその戦略によって又六郎を追い詰める。続いて幸隆の見せ場だ。これも敵の城に密かに潜入し、こちらに被害者を一人も出すことなく、城主次郎左衛門の首を上げるという作戦が成功する。山本勘助と真田幸隆とが好敵手となる。
村上義清を攻めるため幸隆は鉄砲を貸してくれるよう晴信に頼む。そして地元に帰り部下に鉄砲の練習をさせる。ある時真田家の古い家臣である須野原兄弟から進言されたが逆ギレし打擲する。その後須野原兄弟は失踪する。あまりに理不尽な振る舞い。読者としては少し失望する。後日須野原兄弟は村上の元に現れ、幸隆に復讐するため兵士を貸してくれと頼む。村上は快く受ける。その後須野原兄弟は真田を村上の兵とともに攻める。しかしそれは幸隆の仕組んだトロイの木馬であり、村上の兵士はことごとく鉄砲隊により討たれたのだった。凄まじい戦略。
幸隆は春日山城を偵察するため、小平太を潜入させると同時に自ら山伏に扮して潜入するという大胆さ。ところが小平太は直前で正体がばれ殺害される。ここは上手くなっているが幸隆はばれない。しかも長尾景虎と接触してしまうのに。
上田原の戦い。その場面の前に、板垣信形の行動の奇妙さが綴られる。もちろん板垣は甘利虎泰と共に両職と呼ばれる重臣中の重臣だ。ところがこの頃になると板垣は精彩を欠いてくる。晴信と村上義清の決戦である上田原の戦ではそれが仇となり、板垣は討たれてしまう。さらにこの戦では甘利までも討たれるのだ。討ち取られた人数こそ村上軍の方が多かったわけだが、実質は武田軍の負けと見る。
小笠原長時との戦でも幸隆自ら行商人に変装し、小笠原から長尾景虎へ密書を送るこれまた変装した僧の密書を改竄して勝利する。
武田春信の軍師然としている幸隆だ。山本勘助よりも目立っている。ただ両者認めあっているような設定。
戸石城乗っ取り。実質無血で乗っ取った。これにより村上義清は逃亡し、長尾景虎の元へ逃げる。
幸隆の息子のうち三男の源五郎昌幸、当時9歳が葛尾城攻略で活躍する。幸隆の後を継ぐのは長男の源太左衛門信綱なので、昌幸を晴信の言うとおり小姓として人質に出す。4男も一緒に出すが、晴信のお気に入りは昌幸だ。
川中島も第3回を終えると、晴信は39歳で出家し信玄と改名。同時に山本勘助は道鬼、幸隆は一徳斎と改名する。
長野業政は一徳斎の恩人だ。かつて国を追われた時に世話になり、上杉の敵となる武田に勘助の助言により仕官しようとしたときも快く送ってくれた。そして業政の死期が近づいた時、訪れた一徳斎は、自分の養女の夫の沼田景康の城を攻めろと助言、遺言と言ってもいい、残す。因みにこのときの沼田城は後に真田昌幸が城主となる。
第4次川中島。山本道鬼の策により武田軍は2軍に分ける。ところが飯を炊く煙が2ヶ所発生させてしまい政虎に策がばれたのではないかと一徳斎は危惧する。案の定策はバレており信玄の弟、山本道鬼達が討たれる。一方真田家はいくらか手柄をたてた。一徳斎は年齢のこともあり世代交代が近づいたことを思う。
昌幸の世代になると文章が退屈になる。単なる事実の描写が多く、物語性がない。
武田信玄が死去し、まったく登場しなくなった一徳斎幸隆も追うように死去する。すると勝頼に世代交代となる。ただ顔立ちは美しいが血気盛んでデキない人物として描かれる。イエスマンの長坂釣閑、跡部大炊助を重用し、昔からの重臣をないがしろにする。耐えかねついに高坂昌信、内藤昌豐が反抗する。
長篠の戦い。兄信綱、昌輝を失う。
家老、山県昌景、馬場信春、内藤昌豐、原正胤が討死。
いよいよ滅亡が近づく。真田昌幸は岩櫃城で立て直すことを進言。一方小山田信茂は城へ行くことを進言。しかし信茂は裏切ることを決めていた。結果、勝頼は自刃。小山田信茂の討たれる。それから難を逃れた格好となる真田昌幸は武田家の家臣ではあったが、縁戚関係もなかったため織田信長に鞍替えする。その事で存続する。
家康に一旦仕えたのだが、家康が北条と和睦するため真田の所領を差し出せと言われる。代わりに土地を用意すると言うことだが、納得できない昌幸は啖呵を切って家康と決別。家康は真田討伐に動く。これを見事な作戦で翻弄する。第一次上田合戦だ。この戦には徳川方から鳥居元忠や大久保彦左衛門らが参戦している。まだこの頃は信幸も幸村も血気盛んで勇み足過ぎる。
下巻
小田原攻めから始まる。北条家滅亡の戦だ。この戦の初めに真田昌幸は重要な役割を果たす。徳川に仕えていた信幸と、秀吉に仕えていた幸村は、この戦に当たって共に昌幸の元に帰される。前田利家、上杉景勝と共に大道寺政繁の守る松井田城を攻めるが苦戦する。やがて秀吉が大群を連れて小田原を襲う。中には上記の他、有名な武将たちがいたのだった。徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、豊臣秀次、宇喜多秀家、細川忠興、池田輝政など。ここには登場しないが、長曽我部元親や毛利水軍(輝元本人は京都留守居)なども参戦していることから、秀吉の天下統一に際して、北条が最後の敵となることがわかる。その北条は後北条家であり、初代が北条早雲、3代目に「風林火山」に出てくる北条氏康、4代目が氏政、5代目が氏直。この時氏政は存命で氏直に代を譲っていた。豊臣軍の圧倒的兵数に太刀打ちできず、降伏することになる。その責任を取る意味で氏直は、自分が腹を切ることで講和の条件としようとしたが、氏直自身は助命され、戦争を起こした原因ということで氏政や大道寺らが切腹させられた。これで五代続いた北条家は滅びた。なお氏政は河内狭山藩に改められ、明治維新まで続いたらしい。さらに廃藩置県によって堺県に吸収され、大阪府に吸収される。地元の近所にそんな歴史があったとは知らなかった。
秀吉の朝鮮出兵から。家康は着々と豊臣を滅ぼすべく準備している。しっかりと司馬遼太郎の「関ヶ原」のように進んでいく。ただ、真田氏は田舎の小大名なだけに、朝鮮に出兵もしないし、ある意味傍観できる立場。それが面白い。
昌幸、幸村父子と信幸の犬伏の別れは有名だが、そもそも関ヶ原以前にこうなることは想像できた。上杉討伐の時はその関係性は曖昧で、3人とも徳川に従って会津に向かった。ただ、攻めいる直前で余裕ができ、3人上田に帰ることができた。そこで別れの決断となる。
信幸の妻である小松殿は本多忠勝の娘だ。留守番をしている小松殿を昌幸は訪ね。孫の顔がみたいと頼むが、勝ち気な小松殿はそれを拒み城の中に入れようとしない。野陣を張ればそこに孫たちを連れていくというやり取り。これは井上靖「真田軍記」の短編集でも出てくる場面。
第二次上田合戦。これは水攻めであったようだ。秀忠軍の軍監は本多正信とのこと。この軍監と言うのが嫌だ。ちゃんと働いているか味方を監視する役というのだ。
関ヶ原に真田のため間に合わなかった秀忠に、家康はすねて会おうとしない。そこで榊原康政が家康に物申す。これがさながら直江状のようだ。
関ヶ原後の動向。意外と処刑は少ないようだ。信幸はというと、父と弟である昌幸、幸村を討伐すると家康に申し出て、それがなった暁には10万石に処すると言質を得る。しかし、それを返上することで昌幸、幸村を助命するよう家康に頼んだ。うまい作戦だ。これが、幸隆→昌幸→と続く策士の血を引いているという。
高野山へ執居されるとき昌幸は54歳、幸村は34歳。昌幸の正室お咲は上田に残し信之に任せる。幸村の正室お竹は一緒に連れていく。
九度山では蓮華定院というのが出てくる。小学校の林間学校の宿泊先を思い出した。
高野山で幸村の長男大助が産まれる。
やがて宇喜多秀家が流罪となり、関ヶ原で的に回った者は容赦なく処罰されることに、いよいよ自分も許されることはないのだと落ち込み、急激に老け込む。62歳でよぼよぼになった昌幸は幸村を呼び、秘策を授けるという。しかし、この策は家康や諸国の大名たちに名の通っている昌幸だから実行できるのであって、経験の浅い幸村には無理だろうと言われ幸村は落ち込む。という下りはどこかで読んだ。司馬遼太郎の城塞だったか。そして昌幸は大阪の大野治長兄弟のことは信用していない。
片桐勝元から幸村の元に使いが来る。なんと僧に扮した明石掃部。
昌幸の法要に紛れて、話のなかでは大坂からの支度金で村人たちを酒浸りにし、爆睡した隙に僧に変装して抜け出したのだった。村人たちは和歌山の浅野家から監視を命じられているからだ。
大坂のまず大野治長の屋敷に向かう。あいにく治長は留守であり、幸村とは知らない大野家の若い侍から、鑑定をしてやるから刀を見せろと絡まれる。それが正宗と貞宗であることを知り驚く。その上、帰ってきた治長から、男の正体が幸村と聞かされ恐縮してしまうという展開が面白い。
新参の五人衆。真田幸村、後藤又兵衛、長曽我部盛親、毛利勝永、明石全登。
幸村は息子の大助に問答をする。一つ一つに正確に答えるという才能。
真田丸は無双だ。冬の陣では圧倒的に防御して見せる。
秀頼は197㎝もあったらしい。秀吉の身長からは考えにくく、秀頼は淀殿と大野治長の子なのではないかという説もある。
大阪城に大筒が打たれる。淀どのの近くに着弾する。恐れた淀どのは家康と和睦しようとする。そこで抵抗したのは秀頼だった。今回挙兵したのは、家康と戦い潔く散ろうと考えてのことという。
有楽齋のことは悪者に描いている。
家康側、本多正純の作戦で二ノ丸三ノ丸が破却され本丸のみとなる。幸村は和睦は一時的なものでやがて戦が再開されるだろうと予測している。堀を埋めている敵方のなかにムカデの旗を見つけ、旧知の原貞胤と知り、迎える。そこで次の戦が起こるだろうこと、そこで自分と息子の大助は討ち死にするであろうこと、そこ戦ではあわのかみから譲られた白熊つき抱角の兜を着けて出るので、戦場ではそれが自分であることを覚えておいて欲しいなど告げる。
再戦を画策する大阪方は治房のつてで軍師として小幡景憲を見つけ出す。その通り、司馬遼太郎の城塞に出てくる小幡勘兵衛だ。司馬によると徳川のスパイ。ここでは初め、軍師然としていて違うなと思わせられたが、やはりスパイのようだ。
夏の陣。道明寺で決戦と、後藤又兵衛と幸村は決める。ただ幸村が先鋒を望んだのに対し、又兵衛は、もはや第一の将である幸村が討たれることがあってはまとめるものがいないということで、又兵衛が先鋒を申し出る。
幸村の最後はさらっと流れる。数度にわたる突撃で疲労した幸村。愛馬も鉄砲のたまにあたって死に、敵方の追手に抵抗する体力もないまま討ち取られた。ただ討ち取られた場面は直接的でなく、松の根本にしゃがみこんだ幸村はもはや刀を抜くことさえおぼつかなくなっていた。という文で終わる。それまでの突撃の凄まじさに、家康は数度、切腹を覚悟したという。そこは定説の通りの描写。本当にそこで家康が討たれていたら歴史は変わっていただろう。
 
上巻
20220327読み始め
20220506読了
下巻
20220601読み始め
20220710読了

サントリープレミアムモルツ香るエールサファイアホップの恵み2022

2022-07-10 15:45:05 | ビール

希少ホップ使用の赤いポップの形が異なる。

香りは爽やか。

飲む。

爽やかさがありながら、ベースにプレモルがあり、フルーティーなPUREMORU的。

しっかりとベースがあり、ホップの、そしてプレモルのそれより高音の味が感じられうまい。

こういった高音系だと薄く感じるのだが、ベースがプレモルだけにしっかりしている。

端的に言うと、プレモルをサファイアホップの高音なホップ風味に代えたものといえる。


パウラーナーサルバトーア

2022-07-10 14:10:33 | ビール

久々に飲む

以前とは瓶の形が違っている。

やまやで198円の特価。

賞味期限は2023年1月30日とまだ余裕がある。なぜ安くなってたのだろうか。

黒ビールかと思ったが、濃い茶色で、アルトの少し濃い感じ。

香りはまず酸味のある香りから、ローストのある香り。

飲む。

以前の印象とことなり、黒ビールでないので焦げがそれほど強くない。いや全くないか。

むしろ麦芽を煮詰めて濃くしたようだ。

濃厚という感じ。

甘いのだが、端に酸味も感じられる。

このビールではないとは思うが、まさに飲むパン。