株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

宇佐神宮と宇摩説(8) 大元神社・馬城峰・小椋(亀)山・壱與と伊予・卑弥呼・天照大神

2008-05-08 00:13:34 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

  昨日と重複するが、馬城峰と大元神社から始める。

  馬城峰と大元神社

 先に写真を紹介した馬城峰が御許山に変わり、現在は大元山となっている。ここにも、後の変化が見られる。馬城峰はウマ・シロ(寄り代、縁りシロ)であり、この史実が変更された事を物語っている。

 馬城峰は、「宇摩・代・峰」が、母音のウが省略されて、「ウマ」が、「マ」になったものであり、宇摩との関係の深い事を示す名であった。この名を持つ山の近くに、倉が在ったので、オグラ山とも言ったのある。

 上宮の小椋山は小倉山であり、「御倉(おくら・みくら)の峰(山)」である。この御倉は天照大神に関する御倉の山の意味であり、馬城峰は宇摩の代わりの山である。古代の「御(ミ)」は、神の物に付ける尊敬の言葉であった。

 大元神社の本殿は無く、拝殿の先には、巨石が三つ立っているという。この三巨石は昨日解いたように、高天原の三神である。古事記冒頭の高天原の三神の巨石があると謂う事だ。

 先の二書は宇佐神宮の祭神の三女神として、色々説明しているのだが、頭の悪い私には理解不能で、迷路に迷い込んでしまうので、良く理解できない。二書共に筋が見えないで、ばらばら説明が続いて読みにくい。

 しかも、読むほどに、枝葉の先に導かれるから、全体が判らなくなる。大きな大木の話のつもりが、ジャングルの枝葉の話になって行くから纏まらないのである。これは、この二書に限らず全ての古代論も共通する。

  小椋山は亀山とも言う(宇佐神宮の山)

 この本では、上宮のある「小椋山は後の名で、亀山が正しい」というが、逆であろう。「亀」は「神」の母音変化だ。元は「神山(カム・カミ、やま)」と変化し、カメに変わったのである。つまり、後の変化が先のいわれは無い。

 「小椋山=小倉山=御倉山」だ。つまり、古事記の天照大神の即位にイザナミから贈られた首飾り、「御倉板挙の神」の御倉である。これらは、「やさしい古事記講座」の天照大神の即位の場で、詳述している。

 この時、この首飾りの意味は「全国にある御倉の飾られる神」と説明した。このように、宇摩説の解明は、古事記の全体像と、地域の事象が結び付いて解かれるのである。謎の起源だった、「宇和島の牛鬼」の起源も説明もしている。

 同様に、宇摩説では、宇摩地域の地名・神社・祭神・方言・民俗学の祭りの山車(太鼓台・神輿太鼓)、伝承。地域の歌などと一致して解いたのと同じである。これらが全て一致して整合している。

 宇摩説の古事記講座で、古事記の合理的で科学的解明を知れば、これまでに解いてきたように、間違いが誰にも直ぐに判ることになろう。2007,10,19日より始めたこの講座を最初から読んで欲しいと思う。

  今の古代論

 古代論は多くの試論(私論)があって、普通に読むとどれが正しいのか判らないし、基礎的状況も判らない。読む度に別世界(違う社会)に入ってしまい、収拾がつかなくなる。今回紹介した二冊も、論の展開ではまったく、かけ離れて一致しない。

 この本で解かれた古代の謎は、民俗学など、ほかの分野での利用は不可能である。ここが、宇摩説と他の古代論との決定的違いである。

 宇摩説では、古事記から社会状況まで広範囲に解いている。この解明は古事記に一致する上に、民俗学などにも一致する。これを知れば古代論を読んでも、想像で追加された部分が良く判る。

つまり、宇摩説が古代社会の基礎知識になれば、どの古代論を読んでも、何処から、想像・空想論かが直ぐに判り出すだろう。そして、同時に、著者の調査を使って、古事記に一致する解明が出来る。

 古事記を通して古代の社会が判ると、通説の想像部分が直ぐ判るので、何れは破棄されるだろう。宇摩説は古事記の上に、考古学や民俗学、地名学、言語学などの補足も多い。、現在のどの古代論より、極端に証拠や補足の多い古代論である。

 宇摩説を知っていれば、小椋山は「御倉山」と直ぐに判る。しかも、この倉は天照大神の御倉の一つと判る。この詳細は古事記の天照大神の即位の場と紹介したように、解いた答えは、古事記とも一致しているのである。

 さて、ここまでで、馬城峰、小椋(御倉)の名が残る。大元神社の祭神は「高天原の神」である。そして、三巨石は高天原の三神である。しかも、卑弥呼に近い古墳があるなど、宇佐が特別な関係を持つ普通の地域でなかったことは、明確である。

  壱與を伊予は正解

 この本の正解部分は、「卑弥呼の宗女、壱與を伊予」とする部分である。これは宇摩説と同じだ。しかし、宇佐王国から王権を強奪したとか、壱與は神武軍に従ったなどというのは創作である。倭人伝によれば、壱與も共立されている。

 つまり、壱與の名から、伊予に結び付けたのは正解だが、その他は全て想像なのである。伊予の宇摩が本拠だったから、「馬城峰」があるのだし、ウマと縁深い地名に、大元神社があり、九州全土の重要拠点になっていたのだ。

 宇摩説では卑弥呼(後は、壱與が就任)は神武の東征を見下ろしていた。これは、古事記の天照大神の話で明確である。そして、神武軍が熊野まで進軍して、天照大神初めて動き出した。卑弥呼は一段上に居たのである。

 したがって、壱與が宝物を持って、神武軍に従軍したという想像は創作である。宇佐氏の本では「壱與をトヨ」と読むから、論がまったく違っている。つまり、これらの二書は、共に神話部分が解けてないから、迷走しているのである。

  今の現古代論は神話部分を想像で埋める、宇摩説で変わる

 戦後史学が、「神話は創作」としたから、合理的・科学的解明をする人がない。つまり、「神話の解明が宇摩説しかなく、まだ広がってない」から、「神話は創作で使えないと無視した」古代論ばかりなのある。

 これは、古事記を創作と思い込んで、神話の史実的解明が無く古代論に生かされてないから、著者が足りない部分を想像で埋め合わせて、古代論を展開するので、想像埋め合わせ説は幾らでも生まれてくる。

 古事記を創作だと否定して、古代論に自分の想像で埋め合わすのだ。今は、このような、歪な古代論が氾濫している。だから、新説、古代論などに踊らされて買うと、金と時間無駄となる。 

 ここでは書名を挙げて書いたが、古代論はどの論もほとんど同じである。記紀を創作としているから、其の部分を想像で埋めしかない。この様々な古代論が幾ら生まれても、日本の基礎となる知識を与えてはくれない。

 宇摩説は研究を始めて、もう、30年を越えるが、まだ、古事記の神話の部分解明を終えたぐらいである。今書いている「やさしい古事記講座」で、古事記神話全体の全解明にしたいと思っている。もう、いい年だから、、、、。

 宇摩説が古事記神話を解き明かし、広がると今の古代論は破壊される。想像部分が多いから、古事記を基礎とした宇摩説の知識が広がると証拠が多いから、論戦にはならない。宇摩説を理解すれば、現在の古代論の欠陥が誰にも判る様になる。

 宇摩説に因って、現在の多くの古来論は消滅するだろう。破壊されれば、新しい古代論の構築が始まる。歴史の中で古代史が一番面白い分野となるだろう。

 つまり、本居宣長以来続いた現在の古代論が消えてしまって、古事記・考古学・民俗学・言語学などと一致する宇摩説に因って「すばらしい日本の古代論」になる。もちろん、この時に主役になるのは、今、宇摩説を読む人達である

======================= 
   相場師ブログランキング  人気ブログランキング【ブログの殿堂】ありがとうございます
二つの「ポチ」が、大きな励みになっています



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。