文化の日に三笠の幌内炭鉱に行って廃鉱跡に魅力を感じていた
そして、次に訪問したのが同じ三笠の奔別炭鉱です
奔別炭鉱は明治35年開抗で開抗から100年以上経過しています
写真の冒頭3枚はシンボル的立坑で、こちらは昭和35年に建てられたそうです
堂々としたシンボル立坑です、高さ51m、立坑内径6.4m、深さ750mで東洋一と言われたそうです
正面斜め横から見た立坑 斜め後ろから見た立坑
立坑の周囲は鉄骨がむき出しで内部には曲がった鉄骨も見られます、閉山まで壁で囲まれていましたが
奔別炭鉱は昭和46年閉山した後、
坑口密閉作業中にガス爆発があり外壁が爆風で飛ばされ死者も5人でたそうです
さて、立坑から100m程、北の山側に国内最大を誇ったホッパー(貯炭場)が見えます
100mほどの長さでその威容に圧倒されるホッパーです
石炭列車が3列並んで積み込みが出来ました 内部写真で、天井には5m間隔で流し坑があり
内部を歩くと外観以上に威圧感を感じました
さらに、このホッパーより山側に行くとどんどん雑草に覆われていて廃鉱気分になります
ここもホッパー施設のようですが天井の高さから貨物列車でなく石炭トロッコが通っていたのかな?
見たことの無いコンクリートの造形、何の施設だろう? ここも貯炭場のようだが1列の小さな施設です
どの廃墟にも、雑草をかき分けた跡と内部にはかすかに人の足跡が見られます
私以外にも、ネット検索しているとマニアックな人が結構いるようです
茂みの中を1人で歩くのが平気なのは、化石探しで山奥をうろついているおかげのようです
でも、歳とともに無理はしないようにはしています・・・・
奔別炭鉱の威光を感じながら歩いたこの日は、男の充実感を感じました
《おまけ》
今日、私の書斎の壁に掛けてある写真を
2011年11月11日11時11分11秒 に撮った写真です
左側の下半分が見える建物はフランスのノートルダム大聖堂です
そして、次に訪問したのが同じ三笠の奔別炭鉱です
奔別炭鉱は明治35年開抗で開抗から100年以上経過しています
写真の冒頭3枚はシンボル的立坑で、こちらは昭和35年に建てられたそうです
堂々としたシンボル立坑です、高さ51m、立坑内径6.4m、深さ750mで東洋一と言われたそうです
正面斜め横から見た立坑 斜め後ろから見た立坑
立坑の周囲は鉄骨がむき出しで内部には曲がった鉄骨も見られます、閉山まで壁で囲まれていましたが
奔別炭鉱は昭和46年閉山した後、
坑口密閉作業中にガス爆発があり外壁が爆風で飛ばされ死者も5人でたそうです
さて、立坑から100m程、北の山側に国内最大を誇ったホッパー(貯炭場)が見えます
100mほどの長さでその威容に圧倒されるホッパーです
石炭列車が3列並んで積み込みが出来ました 内部写真で、天井には5m間隔で流し坑があり
内部を歩くと外観以上に威圧感を感じました
さらに、このホッパーより山側に行くとどんどん雑草に覆われていて廃鉱気分になります
ここもホッパー施設のようですが天井の高さから貨物列車でなく石炭トロッコが通っていたのかな?
見たことの無いコンクリートの造形、何の施設だろう? ここも貯炭場のようだが1列の小さな施設です
どの廃墟にも、雑草をかき分けた跡と内部にはかすかに人の足跡が見られます
私以外にも、ネット検索しているとマニアックな人が結構いるようです
茂みの中を1人で歩くのが平気なのは、化石探しで山奥をうろついているおかげのようです
でも、歳とともに無理はしないようにはしています・・・・
奔別炭鉱の威光を感じながら歩いたこの日は、男の充実感を感じました
《おまけ》
今日、私の書斎の壁に掛けてある写真を
2011年11月11日11時11分11秒 に撮った写真です
左側の下半分が見える建物はフランスのノートルダム大聖堂です
だも、ふりがなをふらないと、読めない人がいるかも。
何だか判らない構造物、想像するだけで楽しいですね。
11.11.11.11.11.11の写真、理解するのに時間がかかりました。
書斎に架けてあるご本人が以前にフランスを旅行した当時の写真を、その時間に撮影したということなのですね。
最初は、その時間にフランスで写真を撮ったのかと???思いました。(笑)
私も行くまでは「ホンベツ」と読んでいました、ご指摘ごもっともであわててふり仮名をふりました。
11の写真は、ジャニーさんの理解通りです説明が下手で悩ませました。
20年前にフランスに行った時の写真を部屋に飾っており、その写真を11の時刻に合わせて撮りモニターに写りこんだものを別のカメラで撮りました。