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能楽が建国の真相を伝える?(^_-)-☆

2020-08-31 23:46:33 | 古代史
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古代史を科学的に解明するアブダクションとは?(その3)で以下のように述べました。
秦氏には建国時代の真相を伝える伝承が伝わっているようです。秦氏の研究はいろいろとやられていますが、あまりこの点を追求したものはないようです。猿楽の祖と言われる秦河勝ですが、観阿弥・世阿弥も秦氏の一族のようです。能を通じて歴史の真相を伝えているようです。これについては、改めてまた考えていきたいと思います。今回はそのことについてもう少し見てみたいと思います。

すでに説明しましたとおり、日本神話のアマテラス女神は、持統天皇をモデルとする創作された神です。重要な事実なので何度も述べますが、持統天皇が皇位を奪った事実を隠し、その正統性・正当性を主張するために創作された女神なのです。そして日本神話を創作した藤原不比等は、藤原氏の遠祖を神話の中に配置し、出自を隠し、天皇家すら貶める話を創りました。藤原氏が権力を維持するため、日本建国で活躍した氏族の物語を神話に閉じ込めて抹殺したのです。しかし、これまで見たとおり、史実を繋ぎ合わせてアブダクションによって仮説を作り、考古学や民俗学などの成果をもとに仮説を検証して、その間の事象を矛盾なく説明できるストーリーが出来ました(古代史の謎を推理する)。

本当の皇祖神は、江南から半島南部を経由して北部九州に降臨した初代王天御中主から17代目の倭国王伊弉諾尊(イザナギ)と日本海沿岸部に活動拠点を持ち列島の太平洋沿岸部や南西諸島、そして半島東部・南部を活動範囲とする縄文海人ムナカタ族の姫伊弉冉尊(イザナミ)との婚姻を意味する国生み神話から生まれた神々に対応する実在人物なのです。

イザナギ大王の王位を継いだスサノヲが奴国の司祭師升ら宮廷楽師たちのクーデターにより殺され約五百年倭国を支配した奴(ナーガ=龍蛇神)国が滅亡しました。奴国の王族は東へ逃げ、弟ニギハヤヒが吉備を平定してヤマト政権の基礎を作った、隠された建国の真相を解明しました。このニギハヤヒが奴国大王を継いだ第19代王天照大神尊です。

そのような歴史の真相を日本書紀がどのように隠したのかを、少し長いですが、隠れているシッポを見てみましょう(^_-)-☆。
日本書紀 崇神紀に以下のような話があります。
五年、国内には疫病が多く、民の死亡者は、半数以上に及ぶほどであった。
六年、百姓の流離する者、或いは反逆する者あり、その勢いは徳を以て治めようとしても難しかった。
そこで一日中、天神地祇にお祈りをした。天照大神、倭大国魂(ヤマトオオクニタマ)の二神を、天皇の御殿の内にお祀りした。ところがその神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。
そこで天照大神を豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ)に託し、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀った。そして、堅固な石の神籬(ひもろぎ、神が降臨されるところ)を造った。
また日本大国魂神(ヤマトオオクニタマ)は、淳名城入姫命(ヌナキイリビメ)に預けて祀られた。ところが渟名城入姫命は、髪が落ち体が瘦せてお祀りすることができなかった。


倭大国魂は大国主のことですが、国譲りを命じた天照大神と国を譲った大国主の二柱の神を崇神天皇が宮に祀ったのかは大いに疑問がありますし、二柱の神を外に遷したことも不思議です。ヤマトが武力によって国譲りさせた大国主は、恨みを持つ神だから、その祟りが怖ろしいことは最初から分かっていることですから。ヤマトの大王の皇祖神である天照大神まで何で外に出さねばならないのかも疑問です。

この直ぐ後の話で、大物主大神(大国主)が崇神天皇の夢に現れて、「もし我が子である大田田根子(オオタタネコ)に私を祀らせたら、たちどころに安定するだろう。また、海外の国も自ら降伏するだろう」と言われたので、大田田根子を見つけ出し、三輪山で祀らせました。
「また、長尾市を倭の大国魂神を祀る祭主とした。それから他神を祀ろうと占うと吉と出た。そこで別に八十万の群神を祀った。
そして、天つ社あまつやしろ、国つ社(くにつやしろ)、神地かむところ、神戸(かんべ、神社の用に充てられた民戸)を決めた。
ここで疫病がやっと収まり、国内はようやく鎮まった。五穀はよく捻って百姓おおみたからは賑わった。」
とあります。

国が安泰になってよかったのですが、次の代の垂仁天皇二十五年になって、突然天皇は「春二月八日、阿倍臣あべのおみの先祖である武淳川別(タケヌナカワワケ)、和珥臣の先祖である彦国葺(ヒコクニブク)、中臣連の先祖である大鹿島(オオカシマ)、物部連の先祖である十千根(トオチネ)、大伴連の先祖である武日(タケヒ)といった五大夫たちに詔して、『先帝、崇神天皇は賢くて聖であり、聡明豁達、政治をよくご覧になり、神々を救い、躬みを慎しまれた。それで人民は豊かになり、天下は太平であった。私の代にも神祇をお祀りすることを、怠ってはならない』と言われた。

三月十日、天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命(ヤマトヒメ)に託された。倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探し、宇陀の篠幡(ささはた)に行った。さらに引返して近江国に入り、美濃をめぐって伊勢国に至った。そのとき天照大神は、倭姫命に教えて言われたのが、
「伊勢国はしきりに波が打ち寄せる、傍国(かたくに、中心ではない国)の美しい国である。この国にいたいと思う」というものである。

そこで大神のことばのままに、その祠を伊勢国に立てられた。そして斎宮(斎王のいる宮)を五十鈴川のほとりに立てた。これを磯宮という。天照大神が、初めて天より降りられたところである。」
と天照大神が伊勢神宮に遷座するけったいな話でした。何で皇祖神を宮中から伊勢に遷さなアカンのか?

ですから、その謎を解くカギが、伊勢神宮の本殿下の「心の御柱」なのです。

そして、誰もが不思議だと思うそのことを、謡曲「三輪」の中で謎解きしてくれているのです。

「思へば伊勢と三輪の神、一体分身の御事今更なにと磐座や・・」

大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?で述べたとおり、大物主大神も倭大国魂も大国主のことです。以前箸墓が「鶴は千年、亀は万年」の由来だった?で、能「鶴亀」が「出雲の国譲り神話」、つまり史実としてはヤマト物部氏と大国主の闘争を意味するということを述べました。今回の謡曲「三輪」が、伊勢神宮の本当のご祭神は、「心の御柱」が男性のシンボルですから男性の太陽神だということを教えてくれたのです。太陽神の正体は、当初は天照大神尊ニギハヤヒのことかと思ったのですが(注1)、実は日本建国で活躍し、ヤマトによって殺されて、ヤマトに祟る、日本で一番怖ろしい大国主狗智卑狗(久々遅彦、豊岡市久々神社祭神、スサノヲ直系)だと教えてくれているのです。

日本書紀で崇神天皇が宮中で祀った太陽神天照大神も、本当は大国主のことだということを謡曲「三輪」が証言しているのです。

観阿弥は日本建国の真相を伝えるために能楽を始めたのではないかとさえ思います。

猿楽の起こりはいつもいいヒントを戴いているkunorikunori様が調査されていますので、また参考になりました。当方があまり先走ったことを書いて申し訳ないのですが、猿楽の起源は、実は以前卑弥呼を不比等から護った人物?で紹介した、国東半島で六郷満山を開基した人(仁)聞菩薩(にんもんぼさつ)が始めたと伝わる修正鬼会(しゅじょうおにえ)ではないかと考えています(注2)。つまり、神道と仏教と日本の伝統文化の「能楽」までが根源で日本建国の歴史と繋がる話です。詳しくは、今後もう少し調査してからご紹介したいと思います(*^▽^*)


(the能.com 演目事典:三輪(みわ)より)


【参考記事】
謡蹟めぐり  三輪 みわ



(注1)日本書紀が女神とすり替えた本当の皇祖神が天照大神尊ニギハヤヒですから、隠してしまったことで祟られないようにするために、備中吉備津神社吉備津彦命に高い特別な神階を贈り、丁重に謝っているのです。

(注2)Wiki「修正鬼会」によれば、「五穀豊穣を祈る寺院の正月行事である修正会と、大晦日の夜に悪鬼を祓う宮中行事である追儺式が変化した鬼祭り、火祭りとが一体になった行事」のようです。

通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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