家の近くの水道水を地下から汲み上げて貯めてるタンク
妻を追ってタイのブログの、ドラえもんさんのブログを見ていたら、タイの洪水の事が書いて有った。
タイの我が町には山間に有り、2年前の洪水にも殆ど被害が無かったので、大丈夫と思うが電話して見た。
今回は隣のピチット県に少し被害が有るだけで、たいした事は無いみたいである。
2年前の洪水の救援物資に付いて話して行くと、救援物資は政府や大会社など色々有るが。
私が関わったお坊さんの、救援活動を書いて見たいと思います。
まだ新しい寺で本堂も未完成ですが、FMの放送局と車2台持っています。
お坊さんの数も10人位いたと思います、車とFMの放送で回る地域に、日日と時間を知らせ救援物資の協力を頼みます。
信者や町の人に車と人を募ります、勿論ボランテァーなのでガソリン代や日当は出ません。
寺の宣伝車を先頭に車6~7台と、お坊さんと手伝い人を乗せて出発します。
目的に着くとお坊さんが托鉢に歩きます、地域の人は道路の前に缶詰やラーメン、古着 米
などの物資を持って待っています。お坊さんの托鉢の品物を、手伝いの人が受け取り車に積み増す。
お寺に帰りその品々を寺の本堂に種類別に並べて、救援物資の袋に詰め込みます。
物資が溜まるとトラックに皆が数珠繋ぎになり、救援物資をトラックに積み込みます。
パトカーを先頭に物資を積んだトラックと、手伝に行く人のピックアップトラック拾数台で、お寺の旗を立て出発します。
被害が大きい隣の県ピチットへ向かいますが、道路が水で冠水しており、地元の人が案内してくれます。
目的地に着くと寺の本堂に被災者が集められて居り、救援物資を運びこみます。
先に配られていた引換券とお坊さんと、ボランテァ―の人で被災者に渡します。
田圃が湖になった様な所は、被災者や役場の船で被災地に行き渡していましたが、被災者が集まるのは勿論船です。
お坊さんに日本人も参加していると、被災地で紹介されましたが、何か恥ずかしい気持ちでした。
期間は1カ月近く続きましたが、タイで初めて心が触れ合う気がしました。
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我が家、お寺の裏に住んでます。タンブン期間で、奥さんお寺に日参してます。お坊さんから、大きな声が聞こえた、日本人と喧嘩してはいけないと云われたそうです。実は大声は隣の家でした。日本人が居る、お坊さん気にされてるようです。
前回の洪水の時にタンブンとしてバケツに入ったタンブンセットを10個ぐらいしました。お寺で物資をまとめて洪水で困っている所に送ると言ってしましたが如何なったのか不明です。
最近はもうありませんが、タイに行った頃は朝のお坊さんの食事によくお寺に行っていました。
その時にはお兄さんのお坊さんが何かと私のことを話題にしてみんなと話をするのでチョッと恥ずかしかっですね。
でも内容はいつもよく分かりませんでしたが・・・・。
お互いに助け合う精神は、タイの良い所ですね。
ボランティアは、良い経験だったと思います。
タンブンって気持ちも有るのでしょうけれど。
「コンタイチュアイカン」と言うことでしょうか。
お寺で手伝いの時は食事が出ていましたが、タンブンで集めた直ぐ傷む野菜などが使われていました。
タイに住んでいて一番充実しいた時と思います。
そういえば、王族に寄付したとかいって、その時の片膝ついてる写真を堂々と飾ってますが、あれも宣伝のための策だったりします。 そういうシステムで網羅されてますね。
末端には、真面目に見返り無しでやってる人もいるのでしょうけど‥ そう人は、えてして道具のように使われやすいものです。
ズル賢っ子、世にはばかる
タイではmugaさんの言われる様に、援助は宣伝の道具に使われるのは、やり過ぎと思います。
タイの援助はタンブンの精神ですから、一般の人でも喜んで寄付していたと思います。