裏庭の塀が見える向うの裏の土地ですが、(住宅地と同じ広さが有る)
タイで暮らして居て何時も思う事は、日本人が良く使う言葉の辛抱と言う事が余り無いと思う。
家の近くにクッテアオ屋が2軒出来た、それも同じ時期である。
家は道路沿いに有るだけである、日本人なら1軒でもやって行けないと思う場所である。
食べに行ったが主婦の内職と言った味である、お金を出してまで食べたいと思はない。
案の定2軒とも1週間近くで辞めていた、家の改造や設備等の元も取れず大損である。
タイ人は誰でも出来る様な商売をして、儲からないと簡単に辞めてしまう。
だから永く続いているの技術を持った修理屋などだ、タイの人は日本人なら棄ててしまう様な電気製品や機械類を、
治しては使っている。だから我が家は電気洗濯機が2台、テレビ4台、掃除機2台、炊飯器4個
有るのであるが娘を入れても家族は3人で、娘はピサヌロークに家を借りて、私は日本に居るから。
家には彼女一人であるが、そう言う品物は財産で有るから棄てないので、修理の仕事は多いのである。
彼女が鶏を飼いだした鶏小屋を建て、塀の上の有刺鉄線に金網を張り鶏が裏の土地から逃げないようにした。
地鶏4~5羽でスタートした鶏が卵を産み孵化して、あっと言う間に50羽以上になった。
餌代が掛かるし鶏が可哀そうで殺して食べないし殺せない、売っても値段が安く儲けにならない。
終わって見れば赤字である。義父などの鶏は放し飼いで残飯を与えるだけである、
餌を買って鶏を育てても、田舎なら市場が無いから売れないのだ。
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残って古くなったカウニャウはサザエの実家の村の人が来た時に渡します。これが鶏の餌になります。
実家の村では鶏を潰して食べるので無駄は無いですね。
家は確かにもので溢れていますね。
隣に小さな家があるのでそちらの方に普段使わないものを入れてありますが、それだけでは足りないので住んで゛いる家の方にも物がたくさんあります。
まあ皆んな朝仕事に出て夜帰ってくるのであまり気にかからないのかもしれません。
できるだけ良いように解釈したいと思ってますが、
14年も一緒にいると、ゴミが溜まる溜まる。
物の少ない部屋が好きな私はストレスです。
誰かに上げれば?って思いますがそれもNG。
ガランとして部屋で落ち着きたいと思う今日このごろです。
日本では美味しい物が沢山有るからでしょうね。
今新製品で生麺のうどんが美味しいです、タイに行く時持って行こうと思います。
作った米の殆どは犬のご飯に変わりますし、同じ餌なら食べないので缶詰や肉などを買うようです。
彼女は棄てる事無く修理して置いているので、数が増えていくと言う事です。
人気店を除くと、結構閉店や名称変更が有ります。
以前は良く新規開店に行っていましたが、
スーパーで売っている袋麺や生麺の方がまし?!って感じの所は厳しいですね。
ゴム畑の家で3人暮らしです。ご飯を炊く、3人分ではなく電気釜に毎度沢山炊くそうです。残ると鳥の餌です。
野菜炒め、材料、油、お肉、味の素たくさんで料理を作るので、調味料、材料が追いつかないそうです。お金もです。余ったら、鳥、犬、猫の餌になり無駄にはなってませんが、云ってもやめません。やる事すべて、豪快だそうです。
前後ろ、横まで見て何もしない人、前だけ見てやり始める人。前後ろ、横、おまけに斜めまで見て、飛び込む人もいます。みなさん同じです。
不思議なことはなく、皆さん、自分に正直にやってます。
(下手の考え休むに似たり)
訂正;オーバーステイ罰金上限20,000バーツでした。
もったいないオバケでも出るかのように棄てない(笑)
家の中がごみ溜めのようにモノで溢れる。
そもそも買わなけりゃいい、と思うのですが、モノをゲットするのが憧れというメンタルが変わらないので、相変わらずモノを買っちゃ溜め込むか、人にあげる。
お菓子の箱なんかも棄てない(笑)
物に執着してるんじゃないか?それでは成仏できないぞ、なんて思うくらいに。
モノを買っても心は満足しないのだが、次々買うのが喜びなんだろうなと思うしかない。
人間、生まれ育ちで染みついた習性って、なかなか変わらないものですね。