人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

12/2 小川原正道『小泉信三』(中公新書)★×5 赤ちゃん来訪

2018-12-09 05:00:00 | 読書

11月24日(土)の項で既述したが、例によってたまプラーザの有隣堂
をブラブラしていたら、小川原正道『小泉信三--天皇の師として、
自由主義者として』という新刊を見つけ、すぐに購入した。本書は、中
央公論新社から「11月25日発行」となったばかり。
珍しく(?)あっという間に読了す。

帯を引用すれば、本書は、
「戦前はマルクス主義批判の知識人、慶應義塾長、戦後は皇太子教育の
全権委任者として知られたオールド・リベラリストの生涯」
を綴ったものだ。

著者である小川原正道慶應義塾大学法学部教授(昭和51年生まれ)の文
章もいい。

小泉信三は、今の若い人は知らないかもしれないが、私からすれば祖父
母の世代だ。戦死した、氏の長男信吉氏は、私の父と同年であった。

私には、先生、上司、先輩、後輩に尊敬する人が多々いる(周りの人は
みんな尊敬?)が、たった一人に絞れと言われたら、躊躇なく小泉信三
をあげるだろう。

学生時代は、授業をサボって、大学の図書館の小泉信三全集をよく読ん
だものだ。したがって、本書に書かれている小泉信三のことも、控えめ
に言っても8割方は知っている。

しかし、私からすると、本書には、新しい「発見」がいくつかあった。
とくに「敗戦による祖国愛の反省」の項は興味深かった。

本書は、今村武雄氏の『小泉信三伝』を「凌駕」する力作と言えるか
もしれない。


小泉信三が亡くなったのは、昭和41(1966)年5月11日である。本書
には、
「5月13日、日本聖公会アンデレ教会でミサが執行され、三色旗で覆わ
れた棺はワグネル・ソサエティー会員の歌う塾歌のなかを庭球三田会の
人々によって霊柩車まで運ばれ、桐ケ谷火葬場で荼毘に付された」
とある。
(注)S先輩にお聞きしたら、たしかにそうだったと。
 なお、ワグネルの名称は、「ソサィエティー」が正しい。次の版で修
 正される?

小泉信三のような人(「人格者」)はもう出てこないだろう。



小川原正道『小泉信三』(中公新書)




『文藝春秋』2008(平成20)年5月号

上記『文藝春秋』p106保阪正康「小泉信三の覚悟と想い」は、小泉信
三を知るうえで必読の参考文献(本書の参考文献にもあげられている)。

平成20(2008)年5月に開かれた「生誕120年記念小泉信三展」で公
開された、皇太子殿下への初回の(?)「御進講覚書」の<全文>が
引用されている。

ごくごく一部をここで紹介すると、
「また、第二次大戦に於てもイタリアは結局王政を廃して共和国となり
ました。諸国の実例は皆なこの如くであるにも拘らず、ひとり日本は例
外をなし、悲しむべき敗戦にも拘らず、民心は皇室をはなれぬのみか、
或意味に於ては皇室と人民とは却て相近づき相親しむに至ったといふこ
とは、これは殿下に於て特と御考へにならねばならぬことであると存じ
ます。・・・・・・新憲法によって天皇は政事に干与しないことになっており
ます。而も何等の発言をなさらずとも、君主の人格、その識見は自ら国
の政治によくも悪くも影響するのであり、殿下の御勉強と(は)修養と
は日本の明日の国運を左右するものと御承知ありたし」




『生誕120年記念小泉信三展』(2008年5月8日発行)
この小泉信三展には、上記「御進講覚書」が展示されたが、なぜかこの
「目録」には掲載されていない。



左から
今村武雄『小泉信三伝』(文春文庫);今村武雄は元日経新聞論説委員
小泉信三『海軍主計大尉小泉信吉』(文春文庫)元々は私家本。
小泉信三『読書雑記』(潮文庫);これはおもしろい!(S46/9/8購入)




12月2日(日)、「赤ちゃん」来訪でわが家は大騒ぎ。
ちなみに1歳未満の「乳児」(母子保健法)は赤ちゃんに分類されると
いう。1歳以上になると「赤ちゃん」ではなくなる。


「はえば立て 立てば歩めの親心 我が身につもる 老いを忘るる」






「いないいないばあ~」が気に入った~。




あらら、疲れて(?)お母さんの背中で寝ちゃった~。


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