たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



石牟礼道子『苦海浄土』河出書房新社(11-13 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集)★★★★★★★

私は、池澤夏樹が、彼の世界文学全集30巻のなかに、戦後日本文学のなかから唯一選出した文学作品として、750頁を越えるこの大部の長編を読んだ。まずは、池澤の文学案内人としての傑出した才能に脱帽したい。『苦海浄土』には、
第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」が全て収められている。私が、昨年から今年にかけて読んだ約50冊の文学作品のなかで群を抜く傑作であり、(民族誌的)事実と方言の力、詩的想像力を組み合わせることで、「神殺し」の文学(バルガス=リョサ)たりえている、日本文学の金字塔であり、この作品自体がひとつの事件だと思う。こんな度肝を抜くすごい文学があったとは、私にとって驚きである。

しかし、事の始まりとして、これは、文学作品などではなく、ルポルタージュであったはずだ。主題としては、チッソ水俣工場が垂れ流した有機水銀が、魚を経由して、周辺住民の中枢神経系に作用して引き起こした水俣病の実態と、患者住民たちが会社を相手取って起こした補償闘争のいきさつを扱っている。ちょうど、水俣病が取り沙汰された時代、私は小学生だった。水俣病、チッソ、有機水銀という言葉は、よく覚えている。『苦海浄土』の凄いところは、水俣病の社会科学たる、たんなるノン・フィクション作品だけでは終わっていない点にある。それは、水俣病患者の家族へのインタヴュー・データ、一主婦として闘争にかかわった作者の観察記述録と、患者たちと会社との交渉データや公文書などの資料の提示から構成されている。しかし、それらを、年代やトピックに沿って整えるだけでは、水俣病の概説書にさえもならなかったであろう。石牟礼道子は、郷土への、そこに暮らす漁民たちへの深い愛に基づく物語を、それらに対比的かつ効果的に埋め込むことによって、この書を一気に、これまで誰も書くことができなかったような文学作品にまで昇華させている。その力量たるや並大抵のものではない。神の領域の仕事である。

これは、作者・石牟礼道子の出身地でもあり、日本人の原風景である不知火海で魚を取って、神々とともに暮らす人びとの人間的真実の崩壊である奇病の蔓延に対する石牟礼の哀切の思いから沸き起こる、「水俣死民」への鎮魂の物語であり、産業を基盤とした現代文明に対する大いなる異議・申し立ての書であり、さらには、彼女が、水俣病患者の死に様に対する共感から、彼らととともに地を這って動き回ったなかで見えてきた、苦海の果てに仄かに見える浄土への道しるべのような書である。水俣病罹患の地獄とは、患者とその家族にとって、いかなるものだったのだろうか。患者・杢太郎少年の祖父は語る。石牟礼道子は、水俣の方言を、そのままに綴って、力強く人びとの抱く現実を浮かび上がらせる。私は、現実の一端に触れ、ただ落涙するほかなかった。

こやつは家族のもんに、いっぺんも逆らうちゅうこつがなか。口もひとくちもきけん。めしも自分で食やならん、便所もゆきゃならん。それでも目はみえ、耳は人一倍ぼけて、魂は底の知れんごて深うござす。一ぺんくらい、わしどもに逆ろうたり、いやちゅうたり、ひねくれたりしてよかそうなもんじゃが、ただただ、家のもんに心配かけんごと気い使うて、仏さんのごて笑うとりますがな。それじゃなからんば、いかにも悲しか瞼ば青々させて、わしどもにゃみえんところば、ひとりでいつまでっでん見入っとる。これの気持ちがなあ、ひとくちも出しならん、何ば思いよるか、わしゃたまらん。・・・あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい。木で造った仏さんのごたるばい。よだれ垂れ流した仏さまじゃばって。あっはっは、おかしかかい杢よい。爺やんな酔いくろうたごたるねえ。ゆくか、あねさんに。ほおら、抱いてもらえ。

杢太郎は、生きながらにして、仏のような存在なのである。一方で、胎児性水俣病患者の記述。

山本富士夫・十三歳。胎児性水俣病。生まれてこの方。一語も発せず、一語もききわけぬ十三歳なのだ。両方の手の親指を同時に口ぶつかり合いに含み、絶え間なくおしゃぶりし、のこりの指と掌を、ひらひら、ひらひら、魚のひれのように動かすだけが、この少年の、すべての生存表現である。

石牟礼道子は、「水俣病は文明と、人間存在の意味への問いである」という。会社の補償交渉の手ぬるさに業を煮やした患者たちは、支援者たちの資金カンパによって、大阪まで赴き、ついには、チッソの東京本社ビルにまで乗り込んでゆく。そこで、不知火海の漁民たちによる日本の土着の精神性と、東大出のエリート会社人間たちの文明が激突し、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトがぶつかり合う。水俣病患者たちは、社長と直接交渉とするために、オフィスの一角を占拠する。持ち込んだ炬燵のなかに、会社の専務を迎え入れようとする患者たち。それに対して、専務は、患者の立ち退きを一方的に申し入れる。しかし、患者たちは、会社の人間に対して、全面対決というよりも、水俣病を患った身内に対する慈愛に近いような感情を抱いて、大らかに包み込んでいこうとしているように思える。彼らは、対決ではなく、保護を願い出る。それは、近代文明の行き過ぎに対する、ゲマインシャフトの側からのゲゼルシャフトへのひそやかな抗議であり、静かなる戒めであるようにも読めるのだ。

汚染された排水が流された海で獲れた魚を食べた人たちが、さらには、その人たちから生まれた胎児が、中枢神経を冒されて、言語障碍、難聴、運動障碍、精神障碍に陥り、なかには、劇症化して死んでいった者たちもいたという、それだけで狂乱の域に達する驚くべき事実を、いったいどのように、私たちの時代の教訓とすべきであろうか。私には、この公害事件が、昨今の東日本震災の原発の放射能汚染水の海への放出という東電の措置に重なり合って見えるからだ。その惨状を、わが事として引き受け、そうでなければいつまでも続いていたであろう不知火海の美しき景色を重ねながら、当事者の心の襞に分け入り、これほどまでに傑出した文学作品にまで高めた作家が、私たちと同じ風土のなかに暮らしていたことに勇気づけられる思いがする。こうした民族誌が書かれなければならない。これは、以下のインタヴューで、石牟礼道子が言うように、美しい物語だと思う。

石牟礼道子『苦海浄土』刊行に寄せて
水俣病の実態についてのフィルム
土本典昭の水俣病のドキュメンタリー



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