たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



すでに一週間前のことであるが、東北大学東北アジア研究センターで開催された "social significance of animals in nomadic pastral societies of the Arctic, Asia and Africa"という題の、日本人とフィンランド人研究者たち(人類学者中心)によるセミナーに参加した。

http://www.cneas.tohoku.ac.jp/

それは、牧畜民を中心に、動物の社会的な意義を問うというスリリングなテーマが、高い
準で議論されるという、秀逸な研究集会であった。

狩猟採集から牧畜という生業形態の移行は、わたしが調査しているボルネオ島のプナンであ
れば、狩猟とそれ以外の生業それ自体が抱える世界の組み立て方の違いによって、まったく考えられないような事態であるが、狩猟民と牧畜民が混在する地域においては、飼育動物が、地域のネットワークにおいて重要な社会的な機能を果たしていることをベースにして、可能であるということを知った。

ケニアの牧畜民S社会の神話では、考古学的な資料に反し
て、かつてはすべての動物が飼育動物であり、そこから、野生動物が派生したことが語られるという。S社会では、違う種の動物が人間の兄弟姉妹のような関係によって語られ、さらには、動物のメタファーを特異なかたちで発達させている。ox は若者、bullは老人のメタファーとして用いられる。興味深いのは、そうした認知のシステムが、動物と人間が切り離されているのではなく、メタファーによって、統合されたシステムを形成しているということである。

また、複数の発表者から、symbiotic domesticality という概念が提示され、それに基づいて、議論が立てられたことが印象的であった。それは、誰が誰を飼育するのか、誰が誰についていくのかというようなことは、遊牧にさいして、必ずしもはっきりしないのであるが、大きな遊牧集団では、飼育を、人間と動物の双方を含むかたちで行われる人間と動物の間の互酬的な共生関係によって成り立っていると見るものである(と思う)。なるほど、たしかに、牧畜民における人間ー動物関係は、その相互の親密性を形づくる要素に注目することを切り口として捉えることができるのかもしれない。さらにいえば、この概念を切り口として、狩猟民の人間ー動物関係、さらには、人間と動物の対称性/非対称性に議論を進めることができるのかもしれない。牧畜民社会における飼育も、じつにいろいろと面白いと感じた。わたしは、以前、狩猟民プナン社会の飼育概念について少しだけ書いたことがある。

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/b28f0726d5ce80339902d3aef6c08da8

セミナーでは、そのほかに、シンボルとして登場する動物の政治的な面に焦点をあてた発表、トナカイ飼育の規模と社会変化についての発表などなど、とりわけ、人類学をベースとして、人間と動物の関係を考えるための多様な枠組みが提示された。

主催者のTさんには、敬意を表するとともに、感謝いたします。

(写真は、JR仙台駅、おそらく仙台に行ったのは20年ぶりくらいのことである)



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