たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

快楽の追求

2006年11月28日 12時19分03秒 | 性の人類学
その性交のための道具は、40歳代のプナン人男性のペニスの先端部分に取り付けられていた。亀頭を横断・貫通して、一本の棒が取り付けられているのではなくて、尿道を傷つけることがないように、亀頭の表面近くに、注意をはらって空けられたのであろう穴へと、両側から二本差し込まれていた。それは、その目的上、かんたんにはずれるものであってはならず、固定的に取り付けられているようだった。

それは、ある日の午後、ジャングルの片隅で、秘密裏に撮影された。撮影の途中に、包皮の先端に一匹のハエが止まった。男は、それを、恥ずかしそうに追い払った。

その男は、6年ほど前に、亀頭に穴を空けることに長けた人物にたのんで、施術してもらったと語った。その穴に、プナンのことばで、ペニスに突き刺すもの、ウトゥン・ニー(uteng nyi)と呼ばれるものを刺し入れて、性交に用いてきた。ウトゥン・ニーは、ある種の木を素材としてつくられる。女性の性器の内の襞にあたる先端部分が削られて、丸みが付けられる。男は、自ら、それをつくったと語った。亀頭に穴を空けるのと、棒をつくるのは、べつべつのプロセスなのである。穴が空けられていれば、それを気に入らないような場合、べつのものをつくって、差しかえることができる(逆に、一生涯同じものを付ける場合がある。ある60歳代の男性のウトゥン・ニーは、長年付けているので、黒光りしているとのうわさがある)。

その性具は、一般に、女性の性的な快楽を高めるためにあると、プナンの男たちはいう。しかし、(経験の少ない)若い女性に対して用いると、出血して、苦痛をもたらし、逆効果になるともいう。プナン人の間でよく知られた、ウトゥン・ニーの伝説は、以下のようなものである。町の女郎宿に、3人の男が入っていった。最初は、イバン人の男。女は、新聞を読みながら相手をした。二番目に、クニャー人の男。同じく、女は、新聞を読みながら相手をした。最後に女郎宿に入ったのは、ウトゥン・ニーを付けたプナンの男。女は、新聞を手にしていられなくて、歓喜の声を上げたという。また、以下のような話もある。プナンのウトゥン・ニーのうわさは、遠く、欧米にまで届いていて、近いうちに、白人女性(orang putih)たちがたくさんやって来て、プナン人のウトゥン・ニーの性能を試すためのコンテストを開くという話を、酒を飲むとプナン人の男たちは、よくしている。

クニャー人やカヤン人といったプナンの隣人たちも、かつて、そのような性具を付けていたといわれている。しかし、今日、それを取り付けているのは、プナン人の男性だけになってしまった。その意味で、ウトゥン・ニーは、プナンが言うように、プナン社会の起源なのかどうかは、はっきりしない。ここでは仮想的に、そのような性具を、プナン社会の起源だととらえて、そのような性具の発達について考えてみたい。いったい、プナン社会は、どのようにしてウトゥン・ニーなる性具を発達させ、今日にいたるまで、もち続けているのだろうか。わたしが知りたいと思うのは、人類が、どのようにして、そのような類の性具を発達させてきたのかという点である。

一般に、環境の変化に適応するために、<性>が誕生したのは、14億年前のことであるとされる。プナン人が旧石器時代の暮らしを比較的最近まで伝承してきた狩猟採集民の末裔だとすれば、性の道具そのものは、人類社会に、比較的早い段階で出現したものであったのかもしれない(旧石器時代のヒトの骨から、性具が発見されたという報告は、寡聞にして知らないが)。

さて、プナン社会では、口唇性交が強くタブー視されている。ビデオCDで、欧米の性行為を見たことがあるプナン人は、口唇性交の場面を強く忌避する。口や舌は、プナンにとって、生きていくために食べ、そして、ことばをつむぎ出す(考えを述べ、意図を伝える)器官であり、それは、性器に対して用いるものではないのである。そのような規範に沿いながら、性の快楽を求める人びとは、性行為のありようではなく、性器に取り付ける性の道具を発達させてきたのではないだろうか。

はたして、男たちは、率先して、その性具を身にまとってきたのだろうか。写真撮影をしたその男は、妻に、それを付けるように求められたという。別の30歳代の男性は、妻にそれを付けるように言われて、それを拒否して、その女と離婚することになったとわたしに語った。女の側からの要求、女の快楽への欲望が、男にウトゥン・ニーをつけさせるひとつの要因である。いずれにせよ、それは、人類の快楽追求のひとつの産物なのである。